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#23 大量の活字を飲み込む幸せ。

小学生の時、ハリーポッターも好きだったけれど、ダレン・シャンはもっと好きでした。キラキラなんてしてなくて、暗くて、バンバン残虐なことが起きる世界。見てはいけないものを、主人公と一緒になって覗き見している感覚。シリーズ作だったので、新刊が待ち遠しかったのを覚えています。

そんな風に、作品を楽しんでいた読書もあれば、膨大な時間をやり過ごすために、ただただ活字を飲み込んでいるだけの読書もたくさんありました。

私は子供の頃、なぜかものすごーく暇でした。子供でいるというのはつまらなくて、時間は膨大でした。

友達と遊ぶのも面倒だし、でも何かやりたいことがある訳でもない。そんな時は、父や姉の本棚から適当な薄さの本を手に取って、まずは背表紙の短いあらすじを読む。悪くないと思ったら、冒頭の最初の1行目を読む。そうすると、その本が面白いかどうかがわかる。

不思議とはずれないんです、この方法。あらすじと、最初の1行がよいと感じたら、その作品は最後まで読んでも必ず面白い。本を選ぶ時は、いまだにこのやり方です。

本が決まったら、あとはもう、静かなところ、視界に誰も入ってこないところに陣取って、活字を飲み込む。読むというより、この表現の方がしっくりきます。日本語の本であれば、ひらがなはかなり読み飛ばします。漢字から漢字へ、すごい速さで目が飛び移って、飲み込む。おそらく脳内では、ピックアップした漢字から文章が再構成され、小説ならそれが情景に変わります。

この「大量の活字を、すごい勢いで飲み込む」と、私はものすごく、デトックスしているように感じます。重たく感じることとか、チクチクすることとかが活字に押し流されていって、すごく小さなことだったと感じる。そしてもう、遠いことのように感じる。体が活字でいっぱいになって、それ以外の余計なことは考えなくていいような気がして、幸せな気分になります。

これは仕事関連の本ではダメで、小説がよい。それは、小説はアウトプットを求められないからだと思っています。満たしたまま、どこにも出さずに、自分の中に留めておいていいから、なのだと思います。

というのを、本当に久しぶりに小説を読んで気付かされました。ありがとう、素晴らしきピアノコンクールのコンテスタントたち。

こまつまい

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