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#6 あなたを大切に扱わない人を、あなたが大切に扱う必要はないと思います。

私は人間関係の中で、これだけは譲ってはいけない、と自分に言い聞かせていることがあります。それは、「自分のことを大切に扱わない人とは距離をとる」ということです。

大切に扱わないというのは、決して特別扱いしてくれないということではなくて、思いやりを持って接してくれない、ということです。一つ一つの出来事は小さくても、そういう人間関係が自分をひどく消耗させてしまうと気づいてから、気を付けるようにしています。

例えば、いつも自分の話ばかりする先輩がいました。私の話をすると、聞いてはくれるのですが、回答はおざなりですぐに彼女の話に戻ります。悩みを打ち明けても、「この前話してた件はどうなった?」とか「またいつでも話聞くからね」という気遣いの言葉はありません。

20代の頃は営業職だったこともあり、誘いは断らないというのがモットーでした。いま思うと謎の使命感だなと思いますが、そのせいでスケジュールはいつもびっしりで、それでも先輩からの誘いも断れず、がんばってスケジュールを調整していました。

そんな日々を続けていたら、27歳の時、「もういろいろと限界だな」と思いました。「スケジュールを埋めても心が満たされることはないし、思いやりのない世界で自分の心は消耗している」ということに気づいたとき、このままではこの先の人生がとんでもないことになる!と思いました。そして、その先輩の誘いも勇気を出して断っているうちに、誘われなくなりました。なんだ、こんなもんか、と思いました。

それからは、自分のことを大切にしてくれている人は誰か、ということを真剣に考えるようになりました。例えば、こまめに連絡をくれて気遣ってくれる家族や、大失恋した時に駆けつけてくれて、その後も元気になるまでずっと連絡をくれた友達など。そういう人たちとの関係に自分のリソースを集中させるようにしたら、自分の心が初めて、ちゃんと満たされているように感じました。

「自分を大切に扱わない人と距離をとる」ことは、「自分を傷つける人から離れる」ということでもあります。そしてこれは、「自分を大切にする」ということでもあると思います。

私たちが思うよりもたくさんの人が、自分を大切にする方法がわからなくて苦しんでいるのではないかな、と感じます。私たちはもっと、自分の心を中心に生きていくことができるのに、自分が我慢すればいいと思っている人がいます。私もそうだったので、気持ちがよくわかります。でも、あなたに我慢させている人は、あなたが我慢してくれる人だと直感的にわかっているから、あなたばかりを狙って寄ってきます。誤解を恐れずに言うならば、あなたが距離をとってもその人は傷つかないし、孤独にもならないし、すぐに次のターゲットを探し出して代役を務めさせるので、大丈夫です。それに、その人がいなくなってもあなたが死ぬわけではない。

決断が鈍りそうになったら、私はいつも自分に言い聞かせます。それがなくなったところで、死ぬわけではない。明日住む家がなくなるわけでもないし、明日食べるものがなくなるわけでもない。

あの先輩は、声をかければ私が無理をしてでも話を聞くと、わかっていたから誘っていただけだと思います。本当に大切に想っていたら、私のスケジュールを気遣ったり、打ち明けた悩みへの打ち返しがもっとあってもよかった。そして、私が距離をとったところで彼女は今でも元気だし、恐らくですが私以外の人に話を聞いてもらっているのだと思います。

私にとって大切なことは、私を大切にするということです。これがずっとできなくて、すごく苦しい思いをしてきました。自分を大切にできるようになるために、20代最後の3年くらいは、心のリハビリをたくさんしました。「#自分にとって大切なこと」というハッシュタグについて考えていたら、同じ悩みを持つ人に私の話を聞いてもらいたくなって、書いてみました。

こまつまい

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