体験的価値観の違いにより生じる衝突について考える
会う人会う人にもれなく「お前生きてたんだ」と言われます、駒月です。
ここ最近いろいろ考えることが多く、とりあえず25歳時点で何を考えているかをまとめるためにもちょくちょくnoteを書いていくことにした。
今回は巷でよく言われる「価値観」というものに焦点を当て、その中でも僕が勝手に考えてる「体験的価値」について書いていくことにした。
彼女との衝突原因ナンバー1
彼女と付き合い始めてはや1年と7ヶ月ほど経ったが、付き合った当初から小さい喧嘩がちらほらあり、この原因が体験的価値感の違いというものであった。
もっとも衝突の原因となるのは旅行である。
彼女は旅行好きで、逆に僕はなぜ1晩泊まるのに2万も3万も払わねばいかんのだという決定的違いがある。
(家賃10万払ってんだから家にいないと損だろと思う…)
これまで自由に生きすぎていたため、僕は価値観の違いに対しての対処方法を知らず、今まで結構困っていた。
これから、この衝突の原因などについて時間の許す限り考察してみる。
そもそも僕は体験に金を払ってこなかった
僕がこれまでの人生で金を払ってきたのは、バイクや車、カメラやpc関連、その他娯楽に関する嗜好品が大半である。
時系列で分ければ、中学生までゲームソフトやエアガン、高校生でスニーカーやチャリ、大学生になってバイクや車、そして今もこの辺のものにしか金を払っていない。
詰まるところ、形あるモノしか買ってこなかった。
なぜかと言われれれば明確に答えられないが、価値観というものは18歳、いや20歳くらいまでに確立されるものらしいから、僕のこれまでの生活を少し振り返る。
裕福でない家庭で「体験」は買えない
僕は岐阜のド田舎で生まれ、男三兄弟の三男として生まれたが、22歳で実家を出るまで一度たりとも贅沢を経験したことがない。
飯を食えないとか家が無いとか服が買えないとかそんなレベルではもちろんなかったが、例えば車を買ってもらったり国内・海外旅行に行ったりしたことは一切ない。一度もなかった。
価値観は親から与えられるモノと体験、そして偏見によっておおよそ形成されると思っており、そこから親族以外のコミュニティなどによってある程度揉まれ、20年くらいで確立される。
僕は親にモノはある程度買ってもらってきたが、皆が当たり前にする体験を買い与えられたことはない。
はじめて新幹線に乗ったのは中学の修学旅行、はじめて飛行機に乗ったのは高校の時の修学旅行、はじめて海外に行ったのは大学卒業前のタイへの一人貧乏旅行の時ってくらい。
と言うと、全ての体験が比較的遅いほうなのではないかと思う。多分。
物理的価値(≒機能的価値)を満たさねば体験的価値を満たせない
例えば、衣食住も満足に満たせたない人間が、形のないモノ(=体験)をたくさん買えるかと言われれば、100人に99人くらいが無理だろと言うと思う。
もちろん衣食住を最低限に切り詰めて体験にできる限りの金をつぎ込む人種が存在するのも知ってはいるが、例外だ。
体験的価値は、物理的価値を満たした上でようやく購入できる、言わば経済的余裕のある階級にのみ与えられた購買意欲であり、僕が20歳までに与えられるワケもない価値観であった。
購入すれば売らない限り、壊れない限り手元に何年も残り続ける形あるモノのみで価値観を満たしてきたのが今の僕だ。
体験は言い換えれば一時的な消耗品であり、記憶にしか残らないから寂しい。旅行とか高いメシとか。それなら実物として残るモノのほうが圧倒的に好きだ。
ただ、親から買い与えられたいくつかのモノは今でも僕のアイデンティティになってたり、仕事になってたり、一生続けたいような娯楽に繋がったりしてるので、これは感謝している部分である。
頑張って体験に価値を感じるようにならねばいけない
良い景色を見ようが、良いホテルに泊まろうが、誰も見たことのない場所に行こうが、感動することは滅多にない。
朝日が綺麗だとか、海が美しいだとか、空が澄んでいるとか、心底どうでもよい。
心が動くのは、フルバンク直後タイヤを地面に食わせながら右手を精度高く捻っていき、死を感じながらマシンを前進させていく瞬間にある。
だが、こんな人間があと20年30年経ったらどうなるか考えたら、それは心の乏しい「心は子供、見た目はオッサンの哀しきモンスター」なのである。
今「コーナリングで死を感じるのが楽しいんですよ」と言えば「若いなぁ、そういうのいいねぇ」と言われるが、壮年期半ばでこれってどうよ。
50歳のオッサンが「旅行なぁ、カネの無駄だよね」って言ってたら、なんて哀れなんだと今の僕でも思う。こいつマジで教養ねぇのかなと。
こうならないために、体験的価値を感じるように人格修正をしていく必要がある。
タイムが上がるからと言って、ヤフオクで前後1万の中古ハイグリップタイヤを1シーズン15本も履き替えている場合ではない。
タイムが上がるからと言って、15年前のレーシングエキゾーストを血眼になってネットの海から探している場合ではない。
タイムが上がるからと言って、バイク屋さんにキャブレターのジェットの番手調整に数万払っている場合ではない。
1万でちょっと良いコース料理を楽しめ、5万で2泊3日の旅行を楽しめ、10万で数ヶ月先の海外往復航空券をワクワクして買えるような価値観を身につけていく必要がある。
25歳の人間が当たり前に持ち合わせている価値観を、今更取り戻していくしかない。
旅行だって行ったら行ったで楽しいのは分かっているから、少しずつリハビリしていこうと思う。
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