【せ】禅問答

1.事象をアットランダムに切り取っただけのもの
2.文脈的意味は、全くない

【参照文献】
鈴木大拙 「禅」 P13

言葉や文字は、仏教者の生活がそこから始まり、そこに終わる目標を単に指し示すに過ぎないとする。

同じく「禅」P15

禅僧は言う、「わしの言葉はわしのもので、お前のではない、お前のものとはなり得ない。全てはお前自身の中から出て来なければならぬ。」


【解説】
 この世界以上のものはない、というか、存在しているものが全てであるという実感は、共有できると思う。

 なので、問いも答えも、実は初めから目の前にあるのである。
 ただ、あまりに巨大な事象なので、人は肉体という小さな有機体が経験できる範囲で事象を切り取り、それを通して、世界を見ているだけである。
 何に問いを感じるか、というのは、それこそ、オーダーメイドで、人によって違う。切り取り方が違えば、気づきのきっかけも、当たり前に違う。

 ノーベル賞を受賞している科学者らが著した本の終章が、しばしば、精神的な分野に踏み込んでいたり、人気の宇宙物理学者の本が、どこか宗教的だったりすりのは、当たり前である。
 目指すものは同じで、切り取りというアプローチが違うだけだからだ。

 禅問答は、いわば、昨今のエセ自己啓発にありがちな、実際には役に立たない成功者の法則みたいなものである。成功者から法則を見いだそうとする現代の風潮は相変わらずだが、私自身、無駄な金と時間を使ってそれらを体験した結果、人それぞれ、という結果を得ただけだった。
 モチベーションを高める効果はあるかも知れないが、その通りにやって同じ結果を得ることはできない。
 成功者の近くにいろ、という話も、成功者のエネルギーの流れを利用するということで、成功という部分では重要な意味はあっても、なんらかの内的法則ではない。

 つまり、禅問答とは、私は、この時、悟りましたよ、というだけの話で、意味を理解しようというのは、間違っており、あえて正しい解釈と表現していいなら、それは「求めるものは、目の前にこそあるのだ」という強烈なメッセージである、ということだ。

 それこそ、重要。

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