【ろ】論理的

1.自称。自分がそうであると信じているだけのもの
2.この世界に、論理的ではない人間は一人もいないのに、1により、境界線が引けると思い込んでいる

【解説】
 デカルトですら、「哲学原理」の「仏訳者への著書の書簡」の中で、

「これら原理の明白さを証する第二の理由は、それがいつの時代にも知られており、またあらゆる人によって、真実で不可疑なものとして、受け取られてさえいたということです、・・・」【岩波新書・P20】

と書いている。つまり、人がしばしば、絶対的だと感じる「厳密さ」「確からしさ」は、もとからそのような側面を持っているということだ。よって、多くの人間に支持されている方法をもって、それを「論理的である」とする、という自覚を持っているなら問題ない。
 が、その方法が、珍しい(=独自性が強い)ものだからといって、その相手が「論理的ではない」ということにはならない。誰の中でも、思考の流れは、決して破綻していない。破綻していたら、人が「非論理的」であると決めつけることすら語れない。
 もちろん、実際的な場面で、支障を来すことがあれば、このような共通認識で進めましょうという事になるだろうが、あくまで、考え方の話である。

 生きているだれもが、すべからかく、論理的である。
 それを、方法論的に語る場面での用語として使うならば了解するが、実際的な思考の流れが、自分に理解できないからと言って、相手が非論理的であると考えるのは間違っている。

 まして、自分にとって論理的ではないと感じるからと言って、相手の中身を侮蔑するのは完全に間違いだ。
 自分は、ポリコレ的多様性には反対の立場だが、多様性を認めることに賛同の立場であればこそ、論理的跳躍の多様性くらい認めたらどうなのかなと思う。

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