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誰もが、美しい「狂気」を持ち合わせている。

先日、テレビを何気なく見ていて知った作品。
金沢 寿美さんの《新聞紙のドローイング》。

下記記事より作品写真を抜粋


見出しや、ひとかけらの言葉、写真など新聞紙の一部分だけを残して鉛筆で黒く塗りつぶし、それをつなぎ合わせた大型インスタレーション。
つなぎ合わされたそれは、無数の星が浮かび上がる宇宙のようであり、世の中に洪水のように氾濫する情報について考えさせられる、そんな作品。

作品の制作過程を見たときに、わたしは真っ先におもった。「狂っている」と。

一心にただひたすらに新聞を黒く塗りつぶす彼女のその姿と、幾重にも積み重なった黒い新聞紙の束を見て、わたしは金沢さんの中に美しい「狂気」を見た。

でも、それはきっと誰もが持ち合わせているんじゃないだろうかとも思った。

私の周りにも、とくに経営者や何かいつも新しいことを生み出そうと動き続けている人には、
やっぱり何かしら同じような美しい「狂気」を感じる。

金沢さんのそれはアートとして昇華している。
アートに限らずビジネスの世界でも、新しい価値や価値観を生み出す根源にはそういった美しい「狂気」が隠れているようにおもう。

苦にもならず、本人が意識せず、息をするようにこなせること。
それは、誰とも比べられないその人だけの強烈な個性や強みのようにも思える。

「狂気」という言葉自体にはネガティブで負のイメージがあるけれど、それは犯罪や事件などのようにそういう方向にいってしまった結果をたまたま見ているだけなのだと思う。
「狂気」はエネルギー、原動力のようなもの。
向かう先、ベクトルが正しければそれは美しい「狂気」として、正しく力が伝わりそこから色々なものが生まれるのだと思う。金沢さんの作品のように。「狂気」は紙一重。要は向かう先が大切なのだ。

なので最近、自分の中にある美しい「狂気」はなんだろうと考えている。苦にもならず、息をするように続けられること、続けていること。

思いつくのは、お米の選別作業か。
なんとも色気のない「狂気」だけれど。

気に入って食べているチェンライ産の玄米がある。ほぼ無農薬で栽培されていること、米の選別機の性能事情(販売元に聞いた)もあって、虫食いがあるもの、痛んだもの、籾殻がついたままのものなどがはじかれず、多数混ざっている。
そのままでは炊けないので、それらを手作業で取り除く。ただただひたすら取り除く。1kgの玄米を選別するのに3〜4時間くらいかけてその作業をする。ただ、ひとり黙々と。

側から見たらそれは「狂気の沙汰」だろう。
そこまでする気がしれない、と。
自分でも狂ってるなぁと何となく自覚はあるけれど、不思議と止める気はないし、苦しくない。
だって、美味しいごはんを家族と食べたいから。
そして、いろんなお米を買って食べて試して、この作業があったとしても、やっぱりこの玄米が美味しいから、そのことは気にならない。


今思いつく自分の「狂気」はこれくらいで、
これがしごとに役立つのかと言われれば、
全くもってそんな気はしないのだけれど。
誰かや世の中のためになるような、そこへつながるわたしだけの美しい「狂気」をさがそうと思っている。

じつは今朝、MATCHAの青木さんの朝活にごいっしょさせていただき、この美しい「狂気」について語り合ったのだけど、青木さんからわたしのそれに対して「それは狂ってますね」と言って貰い、わたしは褒められたような気分になった。


そのあと青木さんの「狂気」や(これまたなかなか狂っていて素敵だった…!)その周りにいらっしゃる方々の「狂気」のはなしへと広がり、これまたとてもおもしろく興奮したし、それぞれの方々がとても魅力的に感じた。


あなたの中の美しい「狂気」はなんですか?