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常にイエスマンな人々

誰だって他人からの共感や承認を得たい。

そんな人間の欲求に従って生ずるのがイエスマンだ。要するに常に他人を肯定し、相手の土俵に自ら飛び込み主体的に踊り始める人のことだ。

ある程度他人に同調することは人社会の中で生活を送るには必要不可欠だ。しかしそれは少しは意識と、大半は無意識によって補われることがほとんどである人の方が多いだろう。

だが人よりも少し他人と接する機会が少なかったり、人よりも少しコミュニケーションが不器用である時、イエスマンになることで円滑な会話を進めようとする。

常にイエスマンと言っても"誰に対しても"、"どんな状況でも"、ということではない。
まだ出会って日の浅い友人に対しては、付き合った相手に対しては、

様々な条件がある。

私はたとえ友人であっても、付き合っていたとしても、時には私と意見をぶつけてほしい。

さらに欲を言えば、時には私を憎んでほしい。感情をぶつけてくれるのはそれ相応の思いが詰まっているということだし、自分を重要視してくれているということだ。こんなことを言ったら変だと思われるかもしれないが、いつも優しいと不安になる時がある。

優しい、のベクトルがイエスマンであることの上に成り立っていたら、そういう矛盾したことが時々起こる。

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