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誰と同じ時間を過ごすか?

自分のためにも前から時間ができたら書こう書こうと思っててずっと先延ばしになってた、人生を生きるにおいて自分の中心になってる考え方を今朝時間ができたので記しておきます。

僕にとって人生をどう生きるか?ってことは、イコール誰と同じ時間を過ごすかっていうこと。

19歳で上京してから、僕はその都度、いろんな人達と同じ時間を過ごしてきた。

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↑適当に画像検索で集めた写真だから、この人たちだけ!って話じゃなくて一例として写真乗っけてみました。普段から自分が映った写真はほぼ撮らないんだけど、それでも名刺ケースに入ってる記念に撮ったチェキとか見返すと、本当にいろんな人達と同じ時間を過ごしてきたなっていう実感が蘇る。

至極当たり前のことを書くけれど、どんな人と同じ時間を過ごそうと考えるかというと、同じ時間を過ごしたいって思った人達と同じ時間を過ごすようにしている。

それはフィーリングがあったり、僕自身、一緒にいて刺激をもらえたり、人生頑張ろうって思える人達。あんまり深く考えたことはなかったけど、振り返ってみるとそんな人たちと極力一緒にいるようにしてたと思う。

会社をやりだしてから気づいたことなんだけど、世の中、そんなフィーリングで生きてる人がじつはそんなに多くないってこと。仕事において、会社として見たとき、正しいのは売上、純利、事業規模etc。経営者としてその部分は痛いほど理解できる。

そして僕自身、その部分が欠落してたものなんだけど、他人からどう思われるかということ。いわゆるビジネスマンとしてのブランディング。こういう人達と一緒にいるとこう思われるとか、こういう事業を始めると過去のブランド力が下がるとか、そんな感じのこと。

会社の売上が不安定なとき、心が揺らぎそうなことは多々あるけど笑、やっぱり調子のいいときだけ寄ってくる人たちも過去にいっぱいいたので、僕はそんなふうにはなりたくないなぁと思ってる。そして、世間的には認められてるわけでもないし、有名人でもない、商売になる、ならない、そんな世間様が決めた価値基準じゃない部分で一緒にいたいと思える人と、これからも同じ時間を過ごすつもりだ。

こうやって書いてきて思い出してきたんだけど、僕が読モムーブメントを仕掛け始めた頃、いわゆるモデルや俳優の人たち、そしてその周辺の人たちにバカにされてるまでは言わないけど、「読モちゃん」とかいっぱい言われたなぁ。こんどうようぢとか、大倉士門とか名前で呼ばれるんじゃなく、総じて読モちゃん。モデルや俳優に対して、モデルちゃん、俳優ちゃんなんて言わなくね?って当時はムカついてたな笑。まあいいんだけど。

徒然と書き綴ってよくわからない文章になったけど、未来このコラムを読み返しても、同じ価値観のまま僕は過ごして、そしてたくさんの仲間と一緒にいたいな。

未来の僕は誰と同じ時間を過ごしてるんだろう。

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