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久しぶりにちょっとメンタルが荒れた

タイトルの通りで、私の中のドロドロを外に出す記事なのでご注意。

きっかけは母からのLINEだった。

私があまりLINEをしてこないでほしいと言ったのを気にしてか、今年に入ってからは誕生日を祝う一通(内容的に祝われたのかは疑問ですが)しか来ていなかった。

来ないなら来ないで、変なことになっていないか気になってはいたのだが、案の定だった。
突然感情のままに長文で送られてきたLINE。

内容を要約すると、昨年父に酷く怒鳴られることがあってから、PTSDになり父に近づくことができない。
どうしたら治るのか?
(遠回しに)帰ってきて解決してほしい。

というものだった。

父が怒鳴ることも、母がそれにより身体的にも精神的にも障害を発症することも今に始まったことではなく、むしろもう軽く思い返しただけでも25年以上は同じ状態である。

申し訳ないけど、わたしはうんざりだった。

わたしはそんな両親の緩衝材として、ケア役として、育ってきた。
だから今でも自分の存在意義に悩むし、歪んだ人間関係しか知らずに大きくなって苦労してきたし、何よりわたしはいつまでも彼らがこのつらい思い出しかない状態を再現し続けてわたしを解放してくれないことが苦しい。

母がPTSDというならわたしだってPTSDのようなものだ。

たくさん自己愛着障害やアダルトチルドレンのことを勉強して、自助グループやカウンセリングでセルフケアに時間やお金も費やして、やっと安定した生活を手に入れたと思っても、こうしたLINEひとつでわたしはまたドン底に行く。

わたしが普段頑張って作っている境界線はまだまだ脆いものなのだ。

母のLINEには脊髄反射で突き放すような返信をした。

今、父と母は一緒に住んでいないので、母がそんな状態になってまで父のところに行く理由は、父と弟のご飯を作るため。
二人ともいい大人だ。
ご飯なんか他人に作ってもらわなくても死なない。
なければ自分でなんとかする。
それなのに母が頑なにそれをやり続ける理由はたぶん、『そんな酷い目にあってもお世話し続ける自分』でなくなってしまったらアイデンティティが壊れてしまうからなのだと思う。
なにしろ少なくとも25年以上も母にとっての自分はそれなのだ。
端的に言えば共依存。

わたしはいろんな意味でイライラした。

共依存の両親にも、そんなLINEを寄こしてわたしを解放しないことにも、自分本位な言い草にも、努力しない姿にも。

だから、二言、
病院行け。
なぜそんなにしてまでご飯を作りに行くのか理解できない。
とだけ返信したのだった。

もちろんそれに対するリアクションはない。
たぶんわたしは返信を間違ったと思う。
そんなことはハナからわかっていた、それでも言わずにいられなかった。
優しく母の望む言葉をかけたって、余計につけこまれるだけ。
優しくなんてしてやるかという意地もどこかにある。
でも完全無視という無慈悲にもなれない。

わかったことがある。

結局どんな対応をしたとしても、どんな返信をしたとしても、もうこの出来事は、気持ちは、ガムみたいに心に引っかかって離れなくなってわたしは地の底に沈む。

わたしはもう何をしても、そう、、、家族に優しくしても縁を切ったとしても、どんな道を選んでも、一生後悔して呪いから解き放たれることはない。

家族はわたしが背負い続ける呪いだ。

わたしは一生解放されない。

こんなふうにメンタルの急降下ともたぶん一生付き合っていかなくてはならない。

正直つらくてもう人生にうんざりしているけれど、わたしは生きていくと決めたから生きている。

つらいことのなかにも楽しいこともあって。

頑張ろうと思うこともあって。

でもたまにはつらいと言ってもいいよね。
泣いてもいいよね。
助けてほしいと叫んでもいいよね。


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