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岸見一郎・古賀史健著『嫌われる勇気』|読書記録

いまや多くの人が一度は目にしたであろう、この本。
岸見一郎・古賀史健著、『嫌われる勇気』。

かくいう私も、書店に行く度に平置きされたこの本を横目に見ながら、手に取ることなく過ごして早数年が過ぎた。初版からもう8年が経過していたらしい。

一週間ほど前に購入したこの本を、ようやく読み終えたので感想らしきものを書き残しておこうと思う。

正体は噛み砕かれた心理学の本

よくある自己啓発本の一種だと思っていたが、予想以上に”心理学”の本だった。
アドラーという人物の思想(アドラー心理学)がまとめられた内容だったのだが、全編「とある”哲人(哲学者)”」と「一人の”青年”」の会話を通して進んでいく。ただただ学問が語られる教本よりも、非常に読みやすくとっつきやすいものだった。

ただそれでも、一度読んだからと言って全てを完全に理解するのは難しい。難しいけれど、日々が生きやすくなるヒントは、いくつか手にしたように思う。

生きやすさのヒント

トラウマは、存在しない

アドラーは、トラウマの存在を真っ向から否定する。

「暴力的な両親のもとに生まれたから、人と関わるのが怖くなった」
「幼いころに水難事故に遭ったから、泳ぐことができない」

それでは、上記のような境遇の人間はみな、孤独を選ぶのか、水を恐れるのか。
答えはNoだ。

「不安だから外に出られない」のではなく、「外に出たくないから、不安という感情をつくり出している」と考える。
「怖いから泳げない」のではなく、「泳ぎたくないから、恐怖という感情をつくり出している」と考える。

きっと、「ちょっと待ってくれ」「自分だって克服できるのならしたいと思ってるさ」「君は何にもわかってない」、そんな反論があるだろう。
でも大丈夫。この本の中では「一人の”青年”」が私たちに代わって、それらの反論を「とある”哲人”」に事あるごとにぶつけてくれる。この本を最後まで読み進められたのも、彼の存在があってこそだと、私は思う。

目的論

本書では、”原因論”ではなく”目的論”で物事を考える。

すなわち、「原因→結果」ではなく、「目的→感情」という図式が出来上がるわけだ。

不快な思いをした(原因)から大声を荒げた(結果)のではなく、大声を荒げるため(目的)に怒り(感情)を持ち出している。
人は、何らかの”善(=得)”があるからひとつひとつの選択をするとアドラーは言う。
<怒り>という感情も、その人にとって何らかの”善”があるから湧き出るのだと。

それは、恐怖で相手を支配するためかもしれないし、八つ当たりで鬱憤を晴らすためかもしれない。怒鳴ることで周りの注目を集めるためかもしれないし、はたまた、周囲の人を避けるためかもしれない。

私もnoteを始めるとき、<不安>という感情があった。
でもそれは、「不安だからやっぱりやらない。」という、やらない言い訳を目的とした感情なのではないかと結論付けた。

人は「変われない」のではなく、「変わらないという決心をしている」と、哲人は青年に伝える。
”いろいろと不満はあったとしても、「このままのわたし」でいることのほうが楽であり、安心"なのだと。

「そんな馬鹿な」と言いたくなるかもしれない。青年も一度は猛反論している。
ただ裏を返せば、「どんな過去があろうと、変わるという選択を自らが行いさえすれば、人は変われる」と、そう言ってもらえたのも同然で。
そんな考え方の方が、人生をより楽しめるような気もする。

まだまだ語られる「アドラー心理学」

ここではトラウマに関してだけを深堀りして取り上げたが、これは本書の内容の五分の一に過ぎない。

その他にも、

  • すべての悩みは「対人関係」である

  • 承認欲求を否定する

  • 叱ってはいけない、ほめてもいけない

  • 普通であることの勇気

  • 自由とは、他者から嫌われることである

などの内容を、”青年”と一緒に「どういうことか詳しくお聞かせ願えますか」といぶかしげな顔をして読み解いていく。

一度読んだだけで全て納得できたわけではないため、今日はこのあたりにしておこう。

この記事を見て読んでみたくなったのなら、ぜひ手に取って自分の目で確かめてみてほしい。
哲人はきっと、「よく来ましたね」と出迎えてくれることだろう。


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