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大学生になりたての人に送っていた言葉たち その4

注:この文章の経緯についてはその0をごらんください。その3の続きです。

前回まで,大学に入りたての人たちに向けて事務処理関係の注意事項を紹介してきました。今回からは,大学での学びをより効率的にするための様々なヒントをお伝えしていこうと思います。この講義は,もともと餅大で初年次教育として共通の教科書やシラバスが指定されている中で実施していたものです。教科書の内容はしっかりしていると思いましたが,しっかりしすぎていて実践向きでないな,と思う部分もあり,人の敷いたレールの上を走るのは難しいという面もあり,だいぶ脱線したりオリジナルコースをたどったりして今の形になりました。理想論は理想論として残しつつ,実用的な,すぐに取り入れられる考え方を大事にしたつもりです。では,はじめましょう。

これから始まる大学生活を充実させたい,とみんな考えると思います。このための一番の早道は「勉強がわかるようになること」です。「大学生は遊ぶもの」と思っている方,そうでもないですよ。これからの大学生活,何が起こるかどんな出会いがあるかはまだ不確定だと思いますが,大学生をやる以上かなり長い時間講義を受ける,ということは確定しているので,この時間をつまらない時間にしないのがまず大事でしょう。日々をつまらないと思って過ごしている人のところにはつまらないことしか起こらないものです(断言)。で,大学の勉強がよくわかるためにどうしたらいいか。常識的に考えれば「予習,復習して真面目にコツコツ」やればいい,ということになりますが,実際問題,大学の勉強は,まじめにやっても成果が上がらないことがあります。寝る間も惜しんで勉強しているのに講義についていけない,という人,実は少なくないです。その一方で,効率よく学習を進められる人もいます。この差は,「大学での勉強の仕方」にスムーズに移行できたかどうかの差ではないかと思うのです。そこで,高校にはなかった大学の勉強の特徴を考えていきましょう。

大学の勉強と高校の勉強の違い:概要

大学の勉強と高校の勉強の大きな違いは2点あります。
一つ目は「範囲が決まっていないこと」二つ目は「教える人が『教育』の訓練を受けていないこと」です。これをふまえて,教わる側が意識したほうがいいことは3点あります。一つ目は「100点を目指さないこと」二つ目は「話の『幹』を意識すること」三つ目は「自分の気づきを大切にすること」です。以下,それぞれの項目について,もう少し詳しく紹介します。

大学の勉強と高校の勉強の違い:「範囲が決まっていない」

高校までの勉強には「学習指導要領」とそれに沿った「検定教科書」があって,そこに書かれているものが「高校生の学ぶべきもの」となっています。指導要領が改定されて範囲が変わることはあるけれど,範囲がなくなることはないです。範囲がある,ということは,「(原理的には)全部できる」ということです。わからないところを見つけて,そこを埋める勉強をくりかえせば,完成に近づきます。実際には高校の教科書がカバーする範囲はかなり広く,大人でこれを一人で全部ちゃんと理解している人はいないんじゃないかな,と思いますが,それでも範囲があって完成に近づく勉強ができるということには変わりありません。一方,大学の勉強の範囲は曖昧で明確な区切りがありません。頑張れば頑張るほど,わからないことが湧いて出てきます。これを高校までのように「わからないこと=克服すべき問題」と思ってしまったらさあ大変。勉強すればするほど完成が遠ざかるという絶望感が待っています。別の言い方をしましょう。完璧を100点満点としてできてないことを減点していくとあっという間に持ち点がなくなってしまう,ということです。

では,なぜ大学の勉強には「範囲がない」のでしょう。
それは「範囲を決められる人がいないから」です。大学で扱う講義の範囲は広く,しかもまだ固まっていない内容を含みます。ですから,学部,学科の単位でカリキュラムを組み立て,講義担当者が細部を決めるのです。高校以下の指導要領のようにモンカショウが出てきて話し合って改訂して新しい教科書を作って検定して,というペースではやりきれないのです。大学で使われる教科書は,大学の教員が書いたものが多いです。誰も検定していません。同じ科目名でも扱われる内容に違いがあるのは普通です。講義の内容について「教科書に書いてない」と文句を言っても「あ,そう,じゃ自分で調べてね」で終わりです。それで良いのです。

大学の勉強と高校の勉強の違い:「教える人が『教育』の訓練を受けていない」

こういうと,かなりの数の学生は「意外だな」という顔をします。でも事実です。高校までの先生は,教える方法を学んで「教員免許」を持って教えます。一方,大学で教えるときは(持っている人もいるけど)「教員免許」は必要ありません。大学の教員選抜で要求されるのは研究業績であって,教え方が上手かどうかは二の次三の次です。大学の教員で教えるのが得意,上手という人は多いですが,不得意,嫌いという人もいて差が激しいです。上手な人も自己流で説明がうまい人なだけですから,中学高校の熱心な先生のように工夫を重ねた丁寧な講義はなかなかできません。では,大学の教員は何ができるのか。未知のものを探すこと,知識を広げ,育てること,つまり研究です。大学の教員は研究の訓練を受けて来た人,社会の中で一つの事に集中し,秀でた人(のはず)です。自分の持つ知識,経験を学生に伝えようという意識で講義をします。もちろん限られた講義時間では,自分の知識を全て伝えきることは無理ですから,大学の先生は,知識の体系がどんどん広がり変化して行く中で,必要と思われることを自分の判断で選んで講義していきます。これを全学生が100%理解することは想定していない(ことが多い)と思います。乱暴な言い方をすると,大学の先生は専門分野については確かに秀でた人(のはず)ですが,それ以外のことについては普通の大人…ではないな,ちょっと変わったただの大人です。いい人かどうかも保証の限りではないのです。かつての私も含めて。

では,このような大学の勉強にどういう姿勢で向かうのが良いでしょうか。
次回へ続きます。

#大学
#初年次教育
#高校と大学の違い


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