あの時俺も月に居た。 デイミアン・チャゼル『ファースト・マン』 感想


ライアン・ゴズリング演じるニール・アームストロングが月に降り立った瞬間、多分俺も月に居た。足跡も恐らく俺のものだ。俺は月面着陸に成功した人間だ。曖昧模糊な考えだが、見た人は少しは共感してくれると思う。そんな没入感がこの映画にはあった。

『ファースト・マン』


大切な作品になった。月面着陸というロマン溢れる題材、ましてやアメリカのヒーロー的存在のニール・アームストロングを描いた作品でここまでミニマムに1人の人間に寄り添った作品を作れるデイミアン・チャゼルが好きだ。

冒頭で娘を失うことが描かれる。その絶望感と失望は測ることは出来ない。その中で宇宙飛行士を目指すこととなる。月に行くまでのドラマはとてもじゃないがロマンに溢れた伝記モノでは無かった。仲間の死、夫婦の軋轢。なのにニールは表情一つ変えずに月に行くことだけを目指す。『セッション』を思い出させるような狂気的なシーンもあり、俺はもはやスリラーだと思った。特に火事の事故シーンは印象的。正直ガスは死亡フラグ立っていたし伝記作品を観ているので死ぬことは知っていたが、あんなに呆気ないモノに仕上げるとは。命を他人に預ける恐怖。ロケットの閉塞感。ネイサン・クロウリーが参加しているのが大きいが、クリストファー・ノーランの『ダンケルク』を思い出さずにはいられなかった。

月面着陸の瞬間。正直今年観る映画であのシーンを超えてくれるのか心配である。(クリード2のタオルと女王陛下のお気に入りのラストも素晴らしいが。)
月に降り立つと「無音」の世界だ。聞こえるのはニールの息遣いと通信機器の音。この没入感にまず圧倒された。その前の展開で感じていた恐怖と荒々しさに対比して描かれる美しい世界が広がっていた。

そしてこのシーンを素晴らしいと感じた点はもう一つある。人類史上最も偉大とされるこの一歩をニール1人の人間に寄り添ったミニマムな視点で表現したことである。冒頭で娘の死が描かれてからほとんど感情が見えなかったニール。そんな彼が感情的になったのがこの月のシーン。つまり、冒頭から彼は娘の事しか見えていないのだ。妻や子供のことなんかほとんど描かれていないのは娘の死を受け入れていないからだと考える。
月に行くこと。それは娘ともう一度対面することなんだと思う。1人の人間が抱えた悲しみを月に行くことで昇華する。そんなシーンを誰もが月に行ったかのように感じさせる没入感のある映像に仕上げたチャゼル。あの時ニールは月で娘の死に決着をつけたし、観客の何者でもない誰かも決着をつけることが出来るんだと思う。俺はまだそこまでの悲しみを抱えずに観たけど、落ち込んだ時にこの映画を観たら救われる気がする。だから大切な作品。

ラスト、ガラス越しに妻と対面する。ニール=ライアン・ゴズリングの表情。ああ、娘の死を乗り越え、やっと妻の元へ行けるのだなと感じた。それでもまだガラス一枚隔てているのはその先に待っているニールとジャネットの運命だろうか。それとも。

なにはともあれ、素晴らしい作品だった。2015年ベストは『セッション』、2017年は『ララランド』を7位にしたがどちらも大好きな作品。しかし、『ファースト・マン』はそれらを超えてしまうかもしれない勢いで頭に残ってしまった。俺は多分チャゼル作品を一生追うんだと思う。



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