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涙パレット|2/4

 大学がお休みの日、私は朝六時にしぜんと目が覚めます。
 白いブラインドを開けて朝日を浴びながら、第二外国語として選んだスペイン語の課題をこなしました。朝ご飯はそのあとです。起きぬけにたっぷり炭水化物を摂る気になれないので、かんたんに済ませます。
 ブルーベリーとラズベリー、そしてイチゴの入った冷凍のミックスベリーをお気に入りの水色の器に入れ、ヨーグルトを大きなスプーン三杯かけます。うえからミューズリーをふりかけて、さらに貯蔵ビンからアーモンドとクルミ、カシューナッツとヒマワリの種、クコの実を載せればできあがりです。毎日食べても飽きません。自分の名前をとって「結希ミックス」と心のなかで名づけています。そのまんまですね。
 お魚が一匹ちょこんと描かれている藍色の二枚のお皿に、ノラとクルツの朝ごはんを盛りつけました。先日、カフェ・パレットで一目惚れして買った小皿です。ノラはしなやかなグレーの毛並みのサビ猫で、クルツはまんまるお目めのシャムミックスです。一人暮らしがいやで実家から連れてきました。昔は二匹いっぺんに抱えられたものですが、いまや一匹だけ持ち上げるのにも、ひと苦労です。私が非力なだけではないはずです。
 ノラとクルツが遊びまくっていた引っ越しのダンボールもようやくすべて片づき、落ちついた部屋で私たちはいつもどおり一人と二匹で朝ごはんを食べました。
 そうして支度を済ませると、私はすぐカフェ・パレットへ向かいます。

 「インテリアストリート」とも呼ばれている朝風町通りに連なる家具屋さんや雑貨屋さんは、五月の銀杏並木の新緑で明るく見えました。「夕坂」をスキップしたくなる陽気でしたが、もう大学生なのでやめておきます。
 カフェ・パレットに着くと、私はポッケからヴィクトリア朝時代のものだという鉄製の鍵を取り出しました。今も防犯機能があるか怪しいと私はにらんでいますが、解錠に難はないので気にしないでおきます。
 午前八時半。誰もいないカフェ・パレットが私は好きになりました。営業は十一時からなので、これほど早く来なくてもよいのですが、早めに開店準備をしたいのです。四階まである建物だと、窓という窓のロールカーテンを開け、床や家具たちを掃除するだけで、ひと仕事を終えた気になります。
 私はアンティークショップの店員としてアルバイトをしておりますが、雇われているほかのカフェの店員さんたちが出勤するまえに、かまわずかってにカフェの業務用コーヒーマシンを使っています。海老名さんが残したハッカ味のドロップスを食べてあげる代わりに許された私の特権です。
 開店準備を終えて、物音のしない広い店内で、ひとりブラックコーヒーを飲むのが、大学の講義がないお休みの日課になりました。
 二階はカフェですが、吹き抜けを囲う通路には、一階と三階と同じように、ところ狭しと家具や雑貨が並んでいます。
 ウォールナットの木目がきれいな背の高いビューローブックケースや、つい触りたくなるつやつやとした緑色のシェードのバンカーズランプ、暖炉に使う石炭を入れておくためのコールボックスに、マホガニーの天板を載せれば食卓にもなるというビリヤードテーブルなど、お客さんに「でも、お高いんでしょう?」と訊かれたら「はい、お高いのです」と言わざるをえない魅力的な品々です。
 ヨーロッパの古い家具や雑貨を彩っているのが、壁という壁に掛けられている夕焼けの絵です。それらの絵もアンティークなのかと思っていましたが、四階がアトリエになっていることもあり、海老名さんが描いたものだと思われました。値札もついていません。
 なかでも二階の壁面に飾られている大きな夕景の絵は、カフェ・パレットの雰囲気を支えているようです。横幅は、背伸びをした猫を縦に五匹並べたくらいの長さでした。描き終えるまでに、いくつのドロップスの缶が空になったのか気になります。私は高校を卒業した日に見た茜色の空に思いをはせました。
 なんとなく照れくさくて、すぐ言い出せずにいましたけれども、折を見て海老名さんに頼もうと私は改めて思います。。彼に絵を描いてもらえば、私もあの日の涙を取り返せるにちがいありません。
 私は朝のコーヒーを飲み干しました。

「答えに困ったら、迷わず前者を選ぶといい」
 朝風町通り沿いの下り坂の先にそびえ立つホテル・レインミラーの大きなガラスドアを押しながら、海老名さんの言葉を私は思い出していました。
 レインミラーは古いホテルをリノベーションしてつくられたホテルです。
 遠目からでも淡いブラウンとベージュのモザイク柄の壁面が目を引きます。中に入ると一階には間接照明が淡く灯るエントランスがあり、南の広い窓に面したカフェレストランには、いかにもお金と時間にゆとりのありそうな身なりのお客さんが何名か夕食を召し上がっています。そういえば役者の吹野さんも、よくレインミラーのレストランで朝食をとると話していました。
 エントランス横のエレベーターに私は乗り、屋上を目指します。
 夜の街に浮かぶルーフトップバルコニーに出ると、ひとり掛けの青いボタンダウンのソファが二台並んでおり、そのうちのひとつにはグレーヘアをショートに切りそろえた高年の女性が姿勢よく座っていました。私を品定めするようにサングラスを外します。
「海老名くんじゃないのね」
「申し訳ありません。海老名は体調を崩しておりまして、代わりに伺いました。カフェ・パレットの店員の西条と申します」と私が答えると、彼女は鼻で笑います。
「本当は? 彼が風邪をひくはずないでしょう」
「名画座の朝風町シネマのレイトショーで、どうしても観たい映画があるそうで」
「ニュー・シネマ・パラダイスね。正直な子は嫌いじゃない」と彼女は白い歯を見せました。「聞いているだろうけれど、あたしはこのホテルのオーナー、雨宮よ」
 雨宮さんの言うとおり、海老名さんから話は聞いていました。気難しい人だから気をつけるようにとも言われています。
 雨宮さんはカフェ・パレットの古くからの常連客で、たびたび海老名さんの絵を買われているそうです。今日も私が雨宮さんから涙をあずかり、海老名さんに届けて、仕上がった絵画を後日に購入される運びとなっていました。
 雨宮さんが空いているソファに目配せをしたので、私は腰かけます。
「では、さっそく涙をいただきますね」と私は鞄から橙色の小さなインクボトルを取り出しました。海老名さんからもらったものです。
 説明は要らず、雨宮さんは心得たようすで大きな瞳をさらに大きく見開きました。そのお顔でこちらを見つめてくるものですから、私はちょっと気圧されます。
「で、海老名くんは、そろそろお金を返せそうですって?」
 鋭い眼差しで雨宮さんに私は問われます。今度は、あらかじめ聞かされていないお話でした。それが顔に出ていたのかもしれません。雨宮さんはつづけます。
「あの子に貸しているのよ。ずいぶん昔から。これまで私が買った絵の代金を差し引いても、まったく足りないくらいね」
「恐れ入りますが、とくに海老名から聞いておりません。ただ」
「ただ、何?」
「まだしばらく返ってこないかもしれません。去年、朝風町近くの町中華で友人に借りたラーメンと餃子の代金を、まだ返していないと話していたので」
 雨宮さんは声を上げて笑いました。「そういうことは今日会った人間に話さないのよ。とくにお金を貸している相手には。あなた、やっぱり良いわ」
 話しながら雨宮さんは目を開けつづけていますが、なかなか涙が流れません。「年をとると体が渇いて嫌よ」と雨宮さんは話題を変えました。
「あなたにはやりたいことがある?」
「いえ、自分が本当に何をしたいのか、よく分からないでいます」と私が答えると雨宮さんは目尻のしわを深くしました。私もじつは涙を流したいのだとは言えませんでした。
「素直な子ね。それで良い。あたしはね、あなたくらいの歳のころ、ホテルを経営することが夢だと言っていたわ。自分でもそう思い込もうとしていた。でも、今なら分かる。それは父の夢だった」
「お父様の?」
「ええ。父も旅館の経営者で、いつも忙しそうだった。あたしは父の気を引くために夢を語っていたのよ。ホテル経営が軌道に乗ってしばらくしてから、夢を叶えたはずなのに、楽しくも嬉しくもない。泣けなくなったのも、そのころから。馬鹿みたいでしょう」
 雨宮さんが夜空を見上げたそのときに、目の乾きによる涙が彼女の頬を伝いました。以前、海老名さんがそうしていたように、私はインクボトルを雨宮さんの頬にあて、涙を収めます。
「馬鹿みたいじゃありません。とても格好いいと思いました」
 私がそう言うと雨宮さんは驚いた顔をしていましたが、私自身、自分が小学生の感想文のようなことを口にするとは思ってもみませんでした。けれど、偽りはありません。
 雨宮さんは下を向いてサングラスをかけてから、また口もとに笑みを浮かべました。
 パレットで買ったという座り心地のよいウィングバックソファで、しばらく雨宮さんと他愛もない会話を重ねました。しぜんと共通の知人についての話題で盛り上がります。先日、初めて会った就活生と小さな公園のブランコで海老名さんが靴飛ばしをしていたらしいというお話。朝風町通りを裸足で歩いていたところを警察の方に海老名さんが職務質問されていたという噂。パレットのお客さんの赤ちゃんと海老名さんが二時間くらいフォルクスワーゲンのビートルの玩具で遊んでいたこと。
 そうして海老名さんのお話しをしていたのに「あの子があなたを気に入るのも、分かるわ」と雨宮さんは夜空を見上げます。サングラス越しでも星は見えるのでしょうか。
「そうだ、用は済んだけれど、ひとつ提案がある」
「何でしょう?」と私はインクボトルを鞄に入れます。
「海老名くんの借金を半額にしてあげる。代わりに、どちらかを選んで」と雨宮さんはソファから立ち上がりました。
 屋上に吹く五月下旬の涼しい夜風で、雨宮さんの銀髪が揺れます。
「海老名くんがずっと売り渋っていたカフェでいちばん大きな絵画を私に売るか」と雨宮さんはひと呼吸おいて、つづけました。「あなたが、うちで働くか」

 黒電話のダイヤルに指をかけて海老名さんは三度目の電話をかけます。
 店を開けるまえのカフェ・パレットには、まだ私と海老名さんしかいません。彼が淹れてくれたコーヒーを飲む気になれませんでした。目の先の壁に、あの大きな夕日の絵があるので、なおさらです。
 一回目の電話で、海老名さんはもじゃもじゃの頭をかきながら、ホテルオーナーの雨宮さんに平謝りしていました。二回目の電話では、黒電話のそばを裸足でひたひたと行ったりきたりしながら宅配業者に連絡を入れていました。
「答えに困ったら、迷わず前者を選ぶといい」と海老名さんが言っていたのも、雨宮さんとホテル・レインミラーの屋上で話していたのも、そして私が海老名さんの教えに背いたのも、もう一週間まえのことです。
 私は迷わず、前者ではなく後者を選びました。つまり、ホテルで働くと私は雨宮さんに言ったのです。海老名さんがいくら借金をしていようと私には関わりのないことですが、手放したくないと思っている絵画を売るのはおかしいと思いました。
 最初の電話をかけるまえに海老名さんは「西条くんは、それでいいのか?」とめずらしく真面目な顔をして、ことのてんまつを報告していた私の言葉を遮りました。カフェ・パレットでアルバイトを始めてから、初めて名前を呼ばれた気がしました。
 私も絵を描いてほしいと海老名さんにまだ言えていません。高校の卒業式で流せなかった涙を、私は流せないままでいました。けれど、そのために誰かが大切な物を失うのは、明らかにまちがっています。
 パレットを辞めても、お客さんとして海老名さんに頼めばよいのでしょうか? そうかもしれません。ただ、それでいいのか、私には分かりません。どう答えるべきか私が迷っているようすを見て、海老名さんは一回目の電話をかけたのです。
「西条くんは渡せません」と海老名さんは受話器越しに雨宮さんに謝り、次の電話ですぐ宅配業者に大きな夕焼けの絵画の配達を頼みました。私が受け渡した雨宮さんの涙で描いた絵も一緒に郵送する手はずとなったようです。
 三回目の電話で海老名さんが誰と話していたのかは分かりませんが、その通話が終わったとき、私は彼に謝ろうとしました。けれど、海老名さんはそれを制するように胸ポケットから缶を取り出し、ドロップスを口に含みました。
「涙壺を知っているか?」
「何でしょう?」
「古代ローマ時代に死者を悼む変わった風習があってな。流した涙を小瓶に入れて、副葬品としたらしい」
「それが涙壺ですか?」と訊くと海老名さんは頷きます。
「涙が蒸発すれば、喪に服す時間が終わるとされていたと聞く。うちにも涙壺は置いてあるが、あれは十九世紀のフランスの品だな」
 なぜ海老名さんが涙壺の話をしたのか、このときの私にはまだ理解できませんでした。でも、申し訳なくて落ち込んでいる私を慰めようとしてくれているらしいことは分かりました。海老名さんは、飴を舐めながら微笑みます。
「コーヒー、飲まねえなら、飲んじゃうよ?」

 タクシーは土曜日の午後の朝風町通りを走ります。
 松野さんは後ろからクラクションを鳴らされても、気にしません。赤信号になっても横断歩道を渡りきれないでいる、寝癖の激しいおじいさんに会釈をしています。ようやく渡りきったおじいさんが、ぴょこんと前髪を揺らして深々とお辞儀をしている姿を横目に、なにごともなかったかのように松野さんは再びゆっくりとアクセルを踏みました。
「エビちゃんから電話をかけてくるとは思いませんでしたよ」と松野さんは助手席の私に丁寧語で話しかけてきます。
 今朝、海老名さんが三回目に電話をかけていた相手こそ、タクシー運転手の松野さんでした。座っていますが、百九十センチはあろうかという背が高そうな方です。
 聞けば、海老名さんとは高校のときの部活の同級生で、社会に出てからも仲良くされているそうです。仕事でも朝風町通りを毎日走るため、休憩がてらカフェ・パレットに立ち寄ることもしばしばあると松野さんは話します。
「何の部活に入られていたのでしょう?」と私はバックミラー越しに松野さんと目を合わせました。
「このガタイで美術部なんですよ」と松野さんは笑います。私も松野さんは運動部かと思いましたが、海老名さんも同じとなると納得のいく部活でした。
 他愛もない会話を交わしながら、しかし私はタクシーの行き先が気になっていました。
 松野さんは海老名さんが涙で絵を描いているという話を以前から聞いており、興味はありながらも、旧友のまえで泣くのは、たとえそれが生理現象だとしても照れるからと遠慮していたそうです。海老名さんは先ほどの電話で「俺のまえで大男が泣かなくても済む方法がある」と語り、その言葉を借りれば「うってつけの場所」で松野さんの涙を私がいただく運びになっているのです。
「僕はタクシーの運転手に向いていませんで。こう見えて人見知りなんですよ。でも、当たり前だけれど、お客さんはみんな初対面でしょう」
「私も初めてお会いしましたが、海老名さんよりずっとお話しがしやすいですよ」
 松野さんはもともとくっきりとしている目尻の笑いじわをさらに深めます。
「西条さんはエビちゃんと知り合いでしょう。だからですよ。初めは、香奈恵さんもそうだったな。親友の知人なら無理なく話せるんです。面倒くさいおじさんでしょう」
「カナエさん?」
「ああ、そうか。エビちゃんの奥さんです。亡くなられて、もう十四年になりますね」
 海老名さんの左手の薬指の指輪を思い出します。たしかに彼が奥さんの話をしているのを聞いたことはありませんでしたが、亡くなられていたとは知りませんでした。
 松野さんは大きな手でハンドルを切りました。朝風町通りを逸れます。もうカフェ・パレットから、ひと駅かふた駅ぶんくらいは離れています。少し黙ってしまった私をバックミラー越しに見て、松野さんは気を遣って話をつづけてくれました。
「人見知りが無理して人と話していると、ものすごく疲れるんです。楽しくないのに笑ったり、興味がないのに熱心に聞いているふりをしたりしていると、体ではなく心がね。タクシー運転手も客商売だから仕方ないのですが、社会学ではこういうのを感情労働というそうですよ。涙が出なくなってから調べました」
 寂しげに笑いながら、松野さんは高級住宅街の狭い路を抜けます。
 やがて景色が開けました。
 ようやく私にも、どのあたりを走っているか分かりました。いくつかの県をまたいで流れる第一級河川の朝風川沿いの道路です。松野さんが窓を開けると、五月終わりのさわやかな風に乗り、朝風川緑地広場で草野球をする少年少女たちの声が聞こえてきました。

 朝風川浅間神社の駐車場にタクシーを停めて、松野さんと私は石段を上ります。
 神社は小さな丘の上にあり、本殿へ行く途中にこぢんまりとした展望台がありました。広々とした空と眼下の朝風川を眺められます。日が落ちてくると、紅の色を帯びた西日が川面を輝かせました。
「エビちゃん、そうとう西条さんが気に入ってるんだろうな」と松野さんは欄干に両ひじを置きます。
「なぜですか?」と私は鞄から橙色のインクボトルを取り出しました。
 しばらく目を開けて流れた涙をいただく、という手はずを私が説明すると、松野さんは優しそうな細い垂れ目を、せいいっぱい見開きました。
「たしかにこの場所は人気が少ないけれど、僕の涙をとるだけなら、ここじゃなくてもいいんですよ。エビちゃんは西条さんに、この風景を見せたかったんじゃないかな」
 松野さんが言うには、この展望台は高校生のときに美術部の部員たちとよく来た思い出の地で、海老名さんのお気に入りの秘密の場所なのだそうです。
 川風に吹かれてこぼれた松野さんの涙を、私はインクボトルに収めました。
「海老名さんは、どんな高校生でした?」
「いまと変わりませんね。あんな感じだけれど、人助けが好きで。高校三年生のときに僕の描いた絵が、いたずらでびりびりに破られたことがありましてね」
 桃色に染まった薄い雲を三羽のカラスが横切ります。
「まあ、なんというか。僕はいじめられていたんです。引っ込み思案なのにデカいから的にされたんでしょう。で、桜の花びらくらいに細かく破かれた絵を、僕は美術室のゴミ箱に捨てました。きっと、初めから何もなかったと思い込みたかったんですね」
 人生は映画とは違う。「ニュー・シネマ・パラダイス」のアルフレードの台詞を私は思い出しました。松野さんは夕空を見上げます。
「エビちゃんはそれを見ていたのかもしれない。次の日の朝、テープでくっつけた絵を、エビちゃんは渡してくれました。目の下にひどいクマをつくってね。たぶん徹夜したんでしょう。これはこれで芸術的で悪くないよなとか言って」
 松野さんは遠い目をします。川に架かっている朝風橋を電車が通りました。
 私が見ていることに気づくと、照れくさそうに付け加えました。「良い奴です。去年、ミツバで貸したラーメンと餃子代はまだ返ってこないですが」
 夕焼けが私たちを包むように柔らかく輝きます。カフェ・パレットに飾られている絵画を私は思い出しました。遠く電車の音が響きます。
「エビちゃんのいる美術部が大好きだったから、卒業式は泣きましたよ」
 何気なく松野さんが語った言葉に、ふいに胸の奥が重くなります。
 帰り道に繰り返し親友のミカと「またね」と言いあって別れたあと、涙を流せなかった卒業の日が思い出されます。
 空の端は藍色に染まりつつありました。
 なんでもないふりをして、私は松野さんに努めて明るく言います。
「いろいろお話を伺えて楽しかったです。そろそろ電車で帰りますね」
 インクボトルを鞄にしまうとき、自分のものではない涙が、オレンジ色に輝きました。

 七月の下旬。
 大学の講義が終わったあと、朝風町駅近くの商店街を歩きながら、澄んだ青空に浮かぶ入道雲を眺めます。吹野さんが先生役を演じた「くじらぐも」が思い出されました。
 赤色に白抜きの字で「中華料理」と書かれた暖簾をくぐります。私はミツバで昼食をとるつもりでした。
 胡椒の効いた名物のオムライスを、二畳しかない座敷で待ちながら、私は店にある古いテレビを見るともなく見ていました。芸能人が辛いものを食べて泣いています。
 私はカフェ・パレットでアンティークショップのアルバイトをしながら、いろいろな人の涙を受けとり、海老名さんが涙で描いた絵画を渡しました。
 就職活動で誰かの仮面を被るように面接を受けているうちに、いつのまにか涙が流せなくなっていた青年。幼いころから憧れていた警察官になったあと、侮られないように涙を我慢していたら、気づけば泣けなくなっていた女性警察官。毎晩のように泣きじゃくる赤ちゃんをあやしているうちに、自分の涙は枯れてしまったお父さん。
 毎日を乗り越えているうちに、誰もが人それぞれの理由で涙を忘れます。そうして失われた涙を癒やす絵画はまた、人によって異なりました。
 吹野さんは、役者を目指すきっかけとなった小学生のときの舞台の絵。ホテル・レインミラーの雨宮さんは、子どものころに父親と公園の手漕ぎボートに乗っていたようすを描いた絵。タクシー運転手の松野さんは、高校の放課後に美術室で海老名さんから初めてドロップスを分けてもらったときの絵。
 他人の涙が雨のように流れるさまを見ているうちに、梅雨は明けました。
 私は思います。
 自分はどうでしょうか?
 高校の卒業式でどうしても涙が出なかった理由は、いまだに分かりません。でも、松野さんではありませんが、海老名さんに面と向かって、改めて私の涙で絵を描いてほしいとは、なんだかやっぱり言いづらいのです。
 オムライスがきました。スプーンの裏でケチャップを塗りひろげ、いただきます。洋食屋さんでは食べられない素朴な味わいでした。ぱらぱらとしたケチャップライスは炒飯にも似ており、みじん切りのタマネギと細かくカットされた豚肉のみという潔い具材が引き立っています。美味しいものを食べていると、名案が思いつきました。
 あの約束の日は、海老名さんにお願いをする良い機会かもしれません。
 先日、私と海老名さんと役者の吹野さんの三人で、昼食をいただく約束をしたのです。来週の火曜日でした。カフェ・パレットの定休日です。以前の絵画のお礼に、吹野さんがパレットの厨房で手料理をふるまってくれるとのことでした。私は絵画を配達しただけですが、吹野さんが誘ってくれたのです。
 十分ほどでオムライスを食べ終えました。お皿に残ったケチャップをスプーンですくってきれいにします。
 そのときは、約束の日がとても楽しみに思えました。
 同じ日に、自分がひとつの大きな過ちを犯すとは、まだ思ってもみなかったからです。





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