京都国立博物館 特別展「雪舟伝説」ー「画聖」の誕生ー~展覧会#58~
「雪舟展」ではありません!
友人に「雪舟展、観てきたよ」と話した。展覧会のリーフレットは、観終わったあとに持って帰っただけで、ついさっきまで中身を見てなかった。二つ折りの中央にこんな文字が書かれていた。なんと・・・・・・
この展覧会は、雪舟の作品を展示することだけが目的ではなかった。雪舟の没後もその作品は生き続け、狩野派をはじめとする諸派の多くの画家たちの手本となり、受容されてきた。雪舟をキーワードにした近世絵画史がどのようなものだったか、その流れをたどることも、この展覧会の目的であった。雪舟が伝説の「画聖」となる過程が、展示室を巡る中で明らかになっていく。
天橋立図の謎
平成知新館3階の第1室に入る。「第1章 雪舟精髄」の展示室である。この部屋には9点の雪舟画が展示されている。6点が国宝、3点が重文という豪華な展示である。一人の画家の作品が6点も国宝に指定されている例はほかにないそうだ。
トップの作品は「天橋立図」。
この作品は、天橋立とその周辺を上空から眺めた図である。図のどこにも雪舟の署名や落款がない。それにもかかわらず、雪舟画としてあまりにも有名である。
制作年代も明らかではないが、手がかりが一つある。この絵の天橋立の先端から海を隔てたところに描かれている智恩寺の多宝塔が、文亀元年(1501)建立であることから、それ以後の作品だと推測できる。雪舟は応永27年(1420)生まれで、文亀元年(1501)といえば80歳を過ぎていることから、最晩年の作だと言える。
雪舟の天橋立図には謎が多い。
①鳥瞰図ではあるが、どこから眺めたものなのかわからない。
②大きさは畳一畳ほどだが、20枚ほどの紙を貼り合わせて描かれている。署名や落款がないことも含めて、これは下絵ではないかと考えられているが、本作品と思われるものは現存しない。
③天橋立の向こう側の、丹後一宮「籠神社」、背後の山頂の「成相寺」など、詳しく描かれている寺社があることから実景のように見えるが、一方でまったく描かれなかった地域もあるという。
余談になるが、籠神社には重要文化財に指定されている立派な石造狛犬がある。建造年については鎌倉から桃山時代まで諸説ある。この天橋立図に狛犬が描かれているかどうかということが、狛犬ファンの私には大きな関心事でもある。現在は神門の前に安置されているが、この絵にはない。しかし、朱に塗られた神門の両脇に何かが置かれているのが確認できる。もしかしたら、これがその石造狛犬かもしれない、と想像するのは楽しい。
美術鑑賞用の単眼鏡で時間をかけて細部を見る。約80点の展示物のまだ一番目である。この作品の前にいつまでも留まっているわけにもいかないので、次に進むことにする。
構図の妙、秋冬山水図
この絵には思い出がある。私が大学の文学科を卒業した後、新学科が創設された。美学科である。美学科では東西の美術史の講座が開かれていた。私はすでに職に就いていたが、研修日に聴講に通った。1年間、2講座を聴講したが、そのうちの一つがT先生の日本美術史学だった。
そのとき教わった雪舟の絵の特徴として覚えているのは、画面の奥に向かって描かれるジグザグのラインである。近景から遠景への移り変わりが、ジグザグのラインによって示される。そしてこの絵のもう一つの大きな特徴は、中央に屹立する縦のラインだ。遠方の冬山の断崖絶壁を、スパッと空を断ち切るように描く潔い構図は、目に焼き付いて離れない。「秋冬」と言われる二図だが、冬図の印象が強い。
長大な四季山水図巻(山水長巻)
これもまたスゴイ作品だ。全長16メートルにわたって、中国の山河が描かれ季節の移ろいが展開する。展覧会で見ることが出来るのはその一部だが、少しずつ展示場面を変更するそうだ。
雪舟は京都五山の相国寺で禅僧として絵の修業を積み、30歳代のなかば頃、山口に下る。ここで守護大名の大内氏の庇護を受け、中国・明に留学して本格的な水墨画を学んだ。
この「四季山水図巻(山水長巻)」を描いたのは文明18年(1486)、雪舟67歳のときである。水墨画ではあるが、ところどころに彩色を施してある。画中の建物や人物は中国風だが、四季の移ろいは日本を意識して描かれている。
大作である。太い絵巻物である。このような作品を、失敗せず破綻なく描ききるには、単なる画才以上のものがなくては完遂できないだろうと思われる。大内氏へのお返しの気持ちも込められていたのだろう。
大内氏はその後毛利氏に滅ぼされるが、この長大な山水図は毛利氏の宝物となり、現在も毛利博物館に所蔵されている。
ショック! 慧可断臂図
第1章に展示されている雪舟の6点の国宝の中に、もう1点印象に残る作品がある。有名な「慧可断臂図」である。
画面には2人の人物が描かれている。右側は、「面壁九年」と呼ばれる座禅修行中の達磨である。その修行中に1人の僧が弟子入りを請うてきたが、達磨は耳を貸さなかった。ある冬の雪の日、僧は自らの求道心を示すため、刀で左腕を切り落とし、それを達磨に捧げて覚悟のほどを示した。達磨はこれを認め、弟子入りを認めた。僧は後に慧可と名乗り、禅宗の二祖となる。
達磨の白い衣の周囲を縁取る太い線や洞窟の岩の描き方が大胆である。水墨画であるが、慧可の捧げる腕の切り口や、慧可の口元に朱が見えて生々しい。画面の中に緊迫した空気が漂っている。
四季花鳥図屏風だってあるぜ!
雪舟の作品には山水の水墨画が多い。一方、雪舟筆という伝承をもつ花鳥図屏風は十数種あるが、その多くは雪舟の弟子の世代に制作されたと推定されている。今回展示の作品は無款ではあるが、雪舟自身が描いた唯一の花鳥画と言われているものである。
右隻を見ると、大きくうねる松の大樹が画面左手に枝を垂らし、その幹と枝との間に一羽の丹頂鶴がすっくと立つ。画面の右端にも、もう一羽の丹頂鶴が、首を曲げて振り返るように描かれている。大樹にとまる2羽の鳥も左を向いている。画面の流れは左方向である。赤い花は椿だろうか。画面左上に小さく飛ぶ燕がいる。全体として、春から夏の風景である。
次に左隻に目を移す。右端に白鷺が不自然な姿で描かれているが、着地しようとしているのだろうか。真っ白な空間は雪景色である。左手から梅の大樹が枝を伸ばす。池に浮かぶ鴛鴦には着彩がある。よく見ると、左上の枝には花がついている。冬から春への時の流れがうかがえる。
冒頭にも書いたが、この展覧会は雪舟の作品展であると同時に、後世の画人たちの「画聖雪舟」受容の歴史をたどるものである。第1章「雪舟精髄」の後、展示は次のように続く。
もうこの部屋の、第1章「雪舟精髄」の展示だけでもお腹がいっぱいになる。しかし、せっかく来たのだから、次の部屋に移動することにしよう。
今回のnoteはここまでにします。
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