見出し画像

大阪市の神社と狛犬 ⑯天王寺区 ⑨三光神社~真田の抜け穴のある神社の狛犬~

大阪市天王寺区の地図と神社

大阪市には、現在24の行政区があります。天王寺区は大阪市の中南部に位置し、区域の大半は南北にのびる上町台地上にあります。区名は、聖徳太子建立の日本最古の官営寺院である四天王寺に由来します。区内には約200の社寺があるほか、名所旧跡も多く、歴史と伝統の息づく町といえます。

天王寺区には、神社が11社あります。そのうちの1社は、生野区にある弥栄神社の御旅所です。
今回の三光神社は、大阪城の南、真田幸村で有名な真田山にあります。最寄り駅のJR環状線玉造駅から西へ徒歩5分ほどの地に鎮座します。神社のすぐ西側には、真田山陸軍墓地があります。


三光神社

■所在地 〒543-0013  大阪市天王寺区玉造本町14-90
■主祭神 天照大神、月読尊、素盞嗚尊
■由緒  創建は5世紀頃、反正天皇の時代と伝えられる。かつてこの辺り一帯は「姫の松原」と呼ばれていたことから、社名も長らく「姫山神社」と称した。「三光」とは「日月星」を指すが、いつの頃か、中風封じで有名な宮城県の三光宮(青麻あおと神社)の神を勧請し、明治41年(1908)に現在の「三光神社」に改められた。
社殿は昭和20年の大阪大空襲で全焼し、現在の社殿は戦後に復興したもの。
境内末社に、仁徳天皇社・武内宿弥社・野見宿弥社・主守稲荷社がある。


狛犬

■奉献年 明治四十三年十二月(1910)
■作者  不明
■材質  花崗岩
■設置  拝殿前階段下

明治43年奉献の石造狛犬(阿形)
明治43年奉献の石造狛犬(吽形)

JR環状線玉造駅前を東西に走る大通りは長堀通り、その一筋南側にあるのが空堀通りだ。大坂冬の陣の後に埋められた堀の遺構があることから名づけられた。この道は、高校時代に毎日通った通学路でもある。

三光神社は空堀通りからもう一筋南に位置する。北側の参道から参拝すると鳥居の横に古い柱の残骸がある。この片柱には、大相撲の力士の名前が刻まれている。陣幕久五郎・竹縄竜八・美保関長八郎・葛城徳蔵・朝日山太郎右衛門・押尾川・藤島和一郎・不知火・岩友幸助。

三光神社  北側参拝口鳥居
三光神社 旧鳥居片柱
三光神社 旧鳥居片柱

境内の参道を進むと、東向きに社殿が建てられている。拝殿の手前に鳥居があり、階段下に明治43年(1910)奉献の石造狛犬が置かれている。社殿は大阪大空襲で焼失したが、この狛犬は幸い無事であったようだ。

三光神社  拝殿と鳥居、階段下狛犬


三光神社境内

〈手水舎〉

円形の手水鉢が珍しい。


〈真田幸村公の像〉

イラストレーターの成瀬浩一氏がデザインしたという、真田幸村公の陣中指揮姿の銅像。昭和62年建立。


〈真田の抜け穴〉

この付近は大坂城の出城「真田丸」のあった所で、真田幸村は城からここに通じる地下の暗道を設けたと言い伝えられている。三光神社の抜け穴の入口は鉄の扉で閉じられているが、年に1日だけ「真田まつり」の開催時に開かれる。内部は10mほどで行き止まりになるそうだが・・・・・・。

万城目学の『プリンセス・トヨトミ』を思い出した。映画も観たね。大阪人にとって、大坂城には秘密の抜け道がいくつもあったという話は、まぎれもない真実だ。三光神社の「真田の抜け穴」がどこまで続いていることを信じたい。


〈真田山陸軍墓地〉

三光神社の境内ではないけれど、神社の裏手の陸軍墓地にも少し触れておきたい。
この墓地は、日本で最古かつ最大の陸軍墓地だ。明治4年(1881)に国立の軍用墓地として設置され、建墓数は5,100基以上あるという。墓碑の中でいちばん多いのは日清戦争の戦没者のものだという。

墓石のほとんどは和泉砂岩製で、傷みも多いという。歴史遺産として貴重な場所だろう。地元に住む高校の先輩が、維持会の常務理事として保存活動や案内活動をしておられる。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?