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突然の「胃」の攻撃に遭って

あはれ花びらながれ
をみなごに花びらながれ

三好達治の「いしのうへ」の美しい冒頭の詩句です。

最近、「歳を取ったな」と感じることが多くなりました。

あはれ時はながれ
老骨に時はながれ

もとの詩のしめやかな美しさが消えてしまって、なんだか哀れさだけが漂いますね。

こんな弱気が湧き出て来たのは、ここ10日間ほどのぼくの「胃」のしわざです。
元来、丈夫な胃腸に生まれつき、自分の「胃」がどの辺りにあるのかも意識したことがないほどでした。
唯一記憶に残る胃痛は、風邪をこじらせて肺炎にかかり、解熱剤を服用したときでした。
そのときは耐えられなくて、救急病院に搬送されました。

それも今は昔。
長らく意識することもなかった「胃」が、突然その存在を、「痛み」という形で攻撃的に主張してきたのです。

その攻撃は、ものを食べると必ず訪れます。
最初はジワッと、そして少しずつ重くなり、お腹の真ん中で「オレはここにいるぞ」とつぶやき出します。
こうなると、それ以上食べるのが恐ろしくなります。
ずっしりと胡座をかかれてしまうと、後は我慢するしかありません。
鈍痛が激痛に移行しないことを祈りながら、ほかのことに気を紛らわせます。
それでもこの10日間に3度も、ぼくの「胃」はぼくを打ちのめしました。

3日前に、太平洋のトンガの海底火山が大噴火し、8000kmも離れた日本にも小さい津波が襲いました。
昨日1月17日は、阪神淡路大震災から27年目に当たる負の記念日でした。

自然災害は、まったく予期せぬ時にぼくたちを襲います。
しかしそのエネルギーは見えないところで蓄積されていて、しかるべき時に必然的に解き放たれるのでしょう。
ぼくの体の中の小宇宙で起こった激痛も、そうなる必然性があったのでしょうか。

昨日は、採決による腫瘍マーカー検査。明後日は胃カメラ検査。
早く「胃」を意識しないですむ日々を取り戻したいものです。



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