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兵庫県立美術館「キース・ヘリング展 アートをストリートへ」#60~


キース・ヘリングが神戸にやって来た!

東京の森アーツセンターギャラリーを皮切りに、全国6ヶ所で開催される「キース・ヘリング展」が神戸にやって来た。東京展のうわさを聞いていたので、観に行くのを楽しみにしていた展覧会だ。


JR神戸線の灘駅で降りて、ミュージアム・ロードを海側に向かって歩く。徒歩で10分ほどのこの道が好きだ。美術館屋上のオブジェ「美かえる」君が見えてくると、この美術館にやって来たという気になる。


美術展の入口は、いつもの本館ではなく、ギャラリー棟だった。この美術館のありがたい点は、高齢者の料金が半額になるということだ。今回の「キース・ヘリング展」もそのつもりで行ったが、悲しいことにギャラリー棟は別だった。いやいや、こんなことでめげていては情けない。2,000円分楽しむぞ! さあ展示室にGO!

1 公共のアート

1978年、故郷のペンシルバニア州からニューヨークに移り住んだキース・ヘリングは、美術館やギャラリーといった限られた空間ではなく、公共の場でアートを展開する方法を模索する。そんな中で彼がたどり着いたのが、地下鉄構内の広告板に貼った黒い紙にチョークで描く「サブウェイ・ドローイング」だった。




サブウェイ・ドローイング
サブウェイ・ドローイング

80年代前半の5年間に描かれた「サブウェイ・ドローイング」は、相当な点数になったと思われる。1日に40点近くも描いたこともあるとか。評判になったヘリングの作品を持ち帰る人も多かったようだ。消耗品のように扱われて、ほとんどが消失してしまったという。今回の展示は貴重である。


2 生と迷路

ヘリングにとって、1980年代のニューヨークは自由で刺激的な場所だった。しかし同時に、HIVの蔓延が社会に暗い影を落とし始める時期でもあった。ゲイであったヘリングは、生の喜びと死への恐怖を背負いながら、自らのエネルギーをアートに注ぎ込んだ。


《無題》獅子のような不思議な獣の背にまたがるヘリング。獣はアートそのものだろうか。

左:ドッグ 右:ピラミッド
フラワーズ
《スリー・リトグラフス》のうちの2点


上の作品は1983年に出版された版画シリーズで、蛍光インクが使われており、ブラックライトによって光を放っていて面白い。

3 ポップアートとカルチャー

80年代のニューヨークは、ドラッグや暴力、貧困が蔓延し、犯罪が多発する町だった。一方で、クラブ・シーンが盛り上がり、ストリート・アートが隆盛を極めるなど、街もカルチャーも人々もパワーに溢れていた。ヘリングにとって、クラブは創作のアイデアが湧き出る神聖な場所であった。
このような時代と場所の中で、ヘリングはポップアートだけでなく、舞台芸術や広告、音楽などと関わりながら制作の場を広げていった。

モントレー1983
レコードのジャケット
アンディ・マウス
『スウィート・サタデー・ナイト』のための舞台セット
レトロスペクト
ラッキー・ストライク
キース・ヘリング:84年へ


4 アート・アクティビズム

ヘリングは、大衆にダイレクトにメッセージを伝えるために、多くの部数を制作でき、高い流通性を持つポスターという媒体を選んだ。題材は商業的なものから、反核、反アパルトヘイト、エイズ予防など、さまざまであった。彼はアートの力は人の心を動かし、世界を平和に出来ると信じていた。

南アフリカ解放
ヒロシマ 平和がいいに決まってる!!
ナショナル・カミングアウト・デー
上:セーフ・セックス  下:無知は恐怖 沈黙は死
沈黙は死
楽しさで頭をいっぱいにしよう!  本を読もう!


5 アートはみんなのために

キース・ヘリングは、アートを知識人や富裕層だけでなく、大衆に広めることを常に目指していた。自らデザインした商品を販売する「ポップショップ」も、大衆が身近にアートに親しむことを可能にした。
《赤と青の物語》は、絵画の連なりから一つのストーリーを創造することを促し、子どもだけでなく大人にも訴えかける視覚言語が用いられた代表的作品である。
また、赤、青、黄という色使いの、平面の形を立体に立ち上げた彫刻作品は、万人とコミュニケーションできるアートと言える。

赤と青の物語




6 現在から未来へ

ヘリングは、1980年から81年にニューヨークでの初個展のために描かれた作品を元にして、1990年、版画による17点のポートフォリオを制作した。真っ黒な壁面にさまざまな向きに掲げられた《ブループリント・ドローイング》には解説がつけられていない。鑑賞者ひとりひとりが個々の現実に照らし合わせて、その意味を考えることを促される。






《イコンズ》は、《ブループリント・ドローイング》と同じく、ヘリングが亡くなる1990年に制作された5枚組の版画作品だ。中でも「光り輝く赤ん坊」という意味の《Radiant Baby》は、ヘリングの最もポピュラーなモチーフの一つになっている。

イコンズ
ペルシダ
無題
無題



キース・ヘリングの創作活動は、わずか10年ほどである。今回の展覧会は、もちろん彼の作品を展示するものだが、最終展示室を出る頃には、ヘリングの人生を観てきたような気になった。
キース・ヘリングの作品は印象的なので、展覧会に来るほどの人たちは、きっとどこかで見たことがあるだろう。確かユニクロのTシャツのデザインにもなっている。
漫画のような線書きの人物が躍動する作品が多い。これは80年代に始めた「サブウェイ・ドローイング」に負うところが大きいのだろう。短い時間で、黒紙にチョークで描くには線書きにならざるを得ない。これなら誰にでも描けそうに思えるが、しかし、ヘリングの前にヘリングはいなかった。最近流行の生成AIを使えば、ヘリング流の絵はいくらでも描けそうだが、それもヘリングではない。

では、どこが違うのか。答えはそこに「ヘリングの人生が描き込まれているかどうか」だろう。「ゲイ」であり、彼の命を奪った「エイズ」でもあったヘリングは、先の見えない短い人生を独自の絵の中に表現したのだ。今回の展覧会を観て、そのことを痛感した。




美術館の外に出ると、真っ青な空が広がっていた。



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