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2024年お正月

今年も早1週間が過ぎました!

波乱の年明けとなった2024年。昨日で1週間になりました。能登半島をはじめ被災地の方々には、お正月どころではなかったことと心が痛みます。あらためてお見舞いを申し上げます。

さて、私 komajin の正月を少しばかり振り返っておきたいと思います。いつものことですが、子どもたち(いや、孫たち)がそばにいるお陰で忙しく、どうも自由がきかない毎日ではあります。

〈1月1日〉

大晦日の紅白を背中で聴いているうちに、いつの間にか夜が更け、年が替わる前に裏手にある光山寺にお参りした。この寺で除夜の鐘を撞くところから、毎年新しい年が始まる。
鐘を撞いて手を合わせたあと、これも恒例の甘酒をいただく。今年は5年生の孫が甘酒係として奉仕していた。


朝が来て、新年のご挨拶、お節、お雑煮、お年玉・・・。毎年のことだが、この行事がなければ新しい年は始まりませんね。

そして年賀状・・・。
今年辰年の年賀状を投函したのは、大晦日の朝だった。毎年早く準備をすればいいのにと思いつつ、気が重くなってしまう。そのくせ、もらった年賀状を見るのはうれしいものだ。年々数は減っていくが、それでも百枚は超えた。卒業生からもらった年賀状の返事は、この日に書くのが恒例になっている。

夕方近くになり、ちょっと外出しようと思った矢先、足元が揺れた。テレビのニュースを見ると、能登で大地震が発生したという。津波の予報もあり、東日本大震災を思い出した。

夕食は、中1の孫のリクエストでカニすき。そして夜はみんなで百人一首のかるた合戦。平和なひとときに感謝。

初空の彼方で地震なゐの年始め


〈1月2日〉

午前は小学生の孫たちの書き初め。5年生は筆の使い方がうまくなってきた。3年生は大雑把だけど力強い。


午後は実家に年始。90歳半ばの両親が健在だ。「お正月を迎えられるのも今年限りかも」といつも同じせりふを聞く。妹の家族もやって来て、賑やかになった。全員集まれば16人になるのだが、今年は11人。みんなで記念写真を撮る。

書初や初夢いまだ見ざりけり


〈1月3日〉

この日は毎年、T高校で担任をしたクラスの同窓会がある。ちょっと早めに着いたので、大阪ステーションビルの上にある風の広場に行ってみた。開発中の梅田北ヤードが見下ろせる。どんどん変化していく町の様子を見ると、自分が取り残されたような気がする。かつて私が親しんだ梅田の町はもうありませんね。


同窓会には15名が参集。コロナ禍でリアル同窓会が開けなかったので、久しぶりに懐かしい顔と対面できた。彼らもすでに57歳、早い人は孫がいる。それでも私にとっては、かわいい教え子たちだ。

あらたまの年重ねたる子らの顔


〈1月4日〉

中1の孫がソフトテニス部に入っている。まだまだ新米で、試合にも出してもらえない。ときどき公園や広場で練習相手になる。T高校ではずっとソフトテニス部(軟式庭球部)の顧問をしていたが、その後は硬式オンリーになったので、軟式のラケットは処分してしまった。孫と遊ぶときは、自分は硬式のラケットを使っている。彼がもっとうまくなったら、自分も軟式のラケットを買って、試合がしたいな。


夜、ウォーキングを兼ねて初詣に行く。今年はまだ神社にお参りしていなかった。歩いて10分ほどのところに、山田の伊射奈岐神社がある。『延喜式神名帳』に「伊射奈岐神社二座」とあるうちの一社で、もう一社は佐井寺というところに鎮座する。佐井寺の伊射奈岐神社の祭神は社名通り「伊射奈岐命」だが、こちらは「伊射奈美命」である。


正面の鳥居から境内に入る。正月三が日は、この鳥居まで参拝者が列をつくるが、さすがに4日の夜となると、人の姿はまったく見えない。
参道途中の怪獣狛犬に挨拶をする。


長い階段をのぼると、正面に拝殿がある。拝殿は昭和45年改築の新しいものだが、後方の本殿は、江戸時代中期の五間社流造檜皮葺という貴重な建築物だ。


だれもいない静かな神前で、神様の気を独り占めにして、無事に生きて過ごさせてもらっていることに感謝する。そして家族と世界の平和を願う。
拝殿前の狛犬は江戸時代天保生まれの浪速狛犬だ。頭を撫でてご挨拶する。


振り返ると、エキスポパークの観覧車が見える。暗い階段を下りて、稲荷社の重守大明神に参拝して帰宅する。

参道の上オリオンの初詣



〈1月5日〉

子どもたちの冬休みは続く。宿題もほぼ終わり、退屈し始めている。中ぐらいの大きさのビニールボールを持ち出して、公園でドッジボールをする。当たっても痛くはないが、よけたり受けたり、けっこう必死になる。おかげで体が温まった。

幼子の投げしボールや風光る


〈1月6日〉

翌日もまた、二人を連れて彩都なないろ公園へ。お気に入りの「絶叫滑り台」が目的だ。近所の高校のソフトボール部と思われる女子生徒が大勢やって来て、子どもたちに混じって滑り台で遊んでいる。中には上までのぼったものの、怖くて滑ることができない子もいる。下から仲間が大声で励ましている。
3年生の孫はどんどん滑るが、5年生の孫は初めはこわごわだった。こんなところにも性格の違いが現れるものだ。
滑り台の次はバドミントン。やっと私の出番だ。


午後、もつれるように伸びている庭の木の枝を払っていたら、アシナガバチの巣があった。葉が茂っている時期にはまったく気づかなかった。この六角形の巣穴で生まれ育ち巣立っていった子蜂は、どこでどのように冬を越しているのだろうか。

蜂の巣の空き家となりて四方の春



〈1月7日〉

1月7日といえば「七草」の日。子どもたちは「春の七草」と問えば、「せりなずなごぎょうはこべらほとけのざすずなすずしろ春の七草」と答える。しかし、実際にどんな植物なのかはまったくわかっていない。
ついでに、百人一首の光孝天皇の歌、「君がため春の野に出でて若菜摘む我が衣手に雪は降りつつ」の「若菜」は春の七草だよと教える。冒頭の天智天皇の歌「秋の田の・・・・・・我が衣手は露にぬれつつ」と紛らわしいということだけは覚えているらしい。
この日の夕食はスパゲッティだった。七草粥は食べなかった。

昨年の12月から、夜のウォーキングを始めた。以前はよく年長の孫と二人で歩いたが、中学生になってからは行かなくなった。近頃は歩数計の数字が、1万歩どころか5千歩を超えることもほとんどない。これはまずいと反省して、ちょっと離れた公園まで歩き、軽い運動をする。街灯はあるが、やはり暗い。公園で人と出会うことはない。

YOASOBIの アイドルの歌詞 口ずさみ 一人で揺らす 夜のぶらんこ



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