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大阪市の神社と狛犬 ㉒住吉区 ①住吉大社(その1)~先代の台座に座す巨大狛犬~


大阪市住吉区の地図と神社





大阪市には、現在24の行政区があります。住吉区は、大阪市の最南部に位置し、大和川を隔てた南は堺市になります。この辺りは、古代には「すみのえ」と呼ばれた海に面した地域で、海上安全の守護神として名高い住吉大社とともに栄えてきました。また、大阪と泉州・紀州を結ぶ紀州街道や熊野街道などの交通の要衝でもありました。

住吉区には由緒ある古い神社がいくつもありますが、まずは摂津国一之宮である住吉大社へお参りするところから始めたいと思います。大阪人にとっては「すみよっさん」と親しまれている神社です。
住吉大社のすぐ前の道路には、阪堺線の「住吉鳥居前駅」があります。また、この道路を挟んで西側に南海本線「住吉大社駅」があり、交通の便に恵まれています。

住吉大社の狛犬については、すでにこのnoteに「住吉大社の狛犬」シリーズをマガジンにまとめて発表しています。今回は「大阪市の神社と狛犬」シリーズの中の一神社として紹介したいと思います。内容的には重なる部分が多いことをご理解ください。


住吉大社

■所在地 〒558-0045 大阪市住吉区住吉2-9-89
■主祭神 底筒男命そこつつのおのみこと中筒男命なかつつのおのみこと表筒男命うわつつのおのみこと息長足姫命おきながたらしひめのみこと(神功皇后)
■由緒  住吉大社は摂津国一之宮であると同時に、全国に約二千三百社あるといわれている住吉神社の総本社で、古代より大坂では最も神威が高く、『記紀』に鎮座由来の神話を持つ唯一の神社でもある。
住吉神にまつわる神話には次の二つがある。

一つ目は第一から第三までの本宮に祀られる神々の話である。
伊弉諾尊いざなぎのみことは亡き妻伊弉冉尊いざなみのみことを追って死者の国である黄泉国まで行くが、そこで醜い姿になった妻を見てしまう。伊弉諾尊は地上に還って死の国のけがれを払うために、海に入ってみそぎを行う。この時に、天照大神(日の神、高天原を支配)・月読命(月の神、夜を支配)・須佐之男命(海を支配)の三神をはじめ、さまざまな神々が生まれた。住吉三神といわれる底筒男命・中筒男命・表筒男命の三柱が誕生したのもこの時である。これらの神々は、海上守護・航海安全の神として信仰され、第一本宮に表筒男命、第二本宮に中筒男命、第三本宮に底筒男命がそれぞれ祭神として祀られている。

もう一つの記紀神話が、第四本宮に祀られる神功皇后の話である。
仲哀天皇が熊襲くまそ征討のために神功皇后とともに筑紫に赴いたところ、神懸かりした皇后に、西海の宝の国、新羅を授けるという神託が下された。天皇は神託を信じなかったために、神の怒りに触れて急死してしまう。この時の神が住吉三神であった。神功皇后は神託に従って朝鮮半島に出兵し、住吉の神の加護のもとに、新羅を降服させた。高麗こま百済くだらの二国の王は、新羅が日本国に降伏したと聞いて勝つ見込みのないことを知り、自ら降伏を申し出た。こうして皇后は三韓征伐を終えて、新羅より帰還した。この凱旋の途中、住吉大神のお告げによって、神功皇后がこの住吉の地に祀られることになったのである。


住吉大社の狛犬設置場所(赤▲)


住吉大社には10対を超える狛犬が安置されている。上の境内図に赤色の▲で示したのが狛犬が設置されている場所である。

狛犬1

■奉献年 昭和五十二年十月(1977)
■作者  狛犬屋 巽彫刻 綱川潔
■材質  花崗岩
■設置  住吉公園東端

まず最初に紹介するのは、住吉大社の西側、住吉公園に安置されている巨大な石造狛犬である。実はこの公園のある場所は住之江区なので、住吉区の狛犬とは言えないのだが、住吉大社の狛犬としてここに挙げる。
住吉公園は、かつては住吉大社の馬場があった場所で、社殿から海岸まで松原が続いており、東西の参道にもなっていた。現在も西の端に高燈籠があり、参道には住友家が奉納したたくさんの石灯籠が今も残っている。この道は海で浄めた神輿の通る道でもあり、汐掛道と呼ばれた。

住吉公園東端の狛犬
住吉公園東端の狛犬
住吉公園東端の狛犬

基壇・台座も含めると、高さが3mはある大きな狛犬である。左右の狛犬は、互いに正対して座しているが、体と顔を参道側にひねって参拝者を迎える姿勢をとっている。阿形は左前肢で玉を押さえ持ち、吽形は右前肢を子供の背中の上に乗せている。子供の狛犬は親と同じように立派なたてがみと牙を持っていて、すでに一人前の風格がある。

住吉公園東端の狛犬の玉取り・子取り

阿吽とも立ち耳で、たてがみや巻毛の模様、尻尾の形など、ほぼ左右対称である。大きなぐるぐるの巻き毛やぼこぼこと盛り上がる筋肉が、この狛犬をたくましく見せている。
この狛犬の作者はどこにも記されていないが、愛知県岡崎市の「狛犬屋 巽彫刻」の石匠、綱川潔氏の若い頃の作品だという。

綱川 潔 氏

狛犬が座している同石の台座には、「住吉名勝保存会」と書かれている。住吉名勝保存会とは、住吉公園内の高灯籠の復旧再建と維持を目的に昭和49年に設立された団体で、それ以外にも住吉公園とその周辺に存在する名勝史蹟などの文化遺産を調査研究し保護することを目的としている。この保存会の記録を見ると、この石造狛犬が昭和52年10月に建立されたことが記されている。

この狛犬は、もともと住吉大社の正面大鳥居前にあったものですが、嘉永二年に再建し、昭和十二年四月に住吉公園に移設されたが、材料が砂岩のため風化破損が著しく倒壊の危険があったので撤去し、昭和五十二年十月復元建立しました。         (住吉名勝保存会のホームページより)

文章の主述があいまいで分かりにくいので、整理すると次のようになる。

①もともと住吉大社の正面大鳥居前には狛犬Aが安置されていた。
②嘉永2年に新しい狛犬Bが再建されたが、昭和12年4月に住吉公園に移設される。しかし材料が砂岩のため風化破損が著しく、倒壊の危険があったので撤去される。
③昭和52年10月に現在の狛犬Cが建立され、先代の狛犬Bの台座・基壇に安置される。「復元」とあるが、元の姿を真似たものではない。


住吉公園東端の狛犬の坐す旧台座・基壇




住吉大社で最初に出会った狛犬から、いきなり謎の世界にはまり込んでしまいました。次回は、この台座の本来の主人であった狛犬を追い求めてみようと思います。




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