大阪市の神社と狛犬 ➊東淀川区⑥柴島神社~禿頭の落ち武者狛犬~
大阪市東淀川区の地図と神社
大阪市には、現在24の行政区があります。その中で東淀川区は最北端に位置し、淀川の北側にあたります。
東淀川区には、神社本庁に加盟する7社があります。(地図参照)
柴島神社
「くにじま神社」と読む。なぜかというと、正直よくわからない。地名辞典によると、かつては「国島」という表記もあったそうだが、なぜ「柴」の文字をあてて「クニ」と読むのか、というところが解明できない。
と思っていたら、「大阪案内人」を自称する西俣稔氏の説に巡り会った。それをまとめると、次のようになる。
■鎮座地 〒533-0024 大阪市東淀川区柴島3-7-30
■主祭神 八幡大神・春日大神・天照皇大神
■由緒 社伝によると、貞永元年(1232)9月の大洪水の際に、村民が高台に避難していたところ、一束の柴に乗った小社が漂着したので、それを産土神として祀るようになったという。元の神社のあった場所は、淀川改修工事により河川敷となったので、明治34年4月、現在位置に移転した。
狛犬1(摂社 仲哀天皇社)
■奉献年 延享二年乙丑九月下旬(1745) 願主 柴嶋邑弥三郎
■石工 不明
■材質 砂岩
■設置 摂社 仲哀天皇社前
柴島神社には4組の狛犬がいるが、その中でもっとも古い延享2年(1745)奉献の狛犬。摂社仲哀天皇社前に安置されている。かつて柴島神社があった場所は「仲哀天皇の森」と言われていた。仲哀天皇が熊襲追悼の船旅の途中、この地に逗留して日和待ちをしたという。
この狛犬は、大阪では際だった異形の狛犬である。
阿形は残念ながら顔が崩れ、全体的に破損が進んでいる。
吽形も体の表面が剥離しているが、比較的保存状態がましである。眉・目・鼻はまるで人のようだ。口元は不明瞭。禿げ頭の頂上に小さな角がある。垂れ耳の下、眉の端から小さな巻き毛が後頭部を半周し、巻き毛の下には流れ毛が同じく半周する。まるで落ち武者のような風貌だ。尾は短く背中に沿う。前後肢とも細く、力強さがない。
狛犬2(末社 住吉神社)
■奉献年 文化十一甲戌歳九月吉祥日(1814) 柴嶋村氏子中
■石工 不明
■材質 砂岩
■設置 末社 住吉神社前
文化11年(1814)奉献の狛犬。仲哀天皇社の隣にある末社住吉神社の前に置かれている。この小社は、稲荷大神と水波能売神を合祀する。
文化年間といえば、14年間に92対の狛犬が寄進されるほど、浪速狛犬が増加する時期である。浪速狛犬の標準型とも言えるデザインが生み出されるのもこの頃である。
そんな中で、この狛犬の容貌は際だって不可思議に見える。何よりも珍しいのは、顔の中央に耳まで左右に広がる大きな鼻である。太い眉とこの鼻との間に、丸い目がある。口も大きく横に広がる。吽形の頭上には、枝分かれした角がある。
一方、首から下の姿や扇形に広がる尾は、特に目立つものではない。
阿形は両耳が欠け、吽形は左耳がかろうじて残っているが、損傷が進んでいるようだ。
なお、このタイプの狛犬は、府内に数例残っている。
狛犬3(手水舎)
■奉献年 文化十四丁丑年五月吉日(1817) 氏子
■石工 不明
■材質 花崗岩
■設置 手水舎前
文化14年(1817)奉献の、これぞ浪速狛犬という風貌の狛犬。材質が和泉砂岩ではなく花崗岩なので、保存状態も良好だ。
頭上は扁平で、吽形には角がある。瞳のある丸目に、阿形の大きく口を開けた朗らかな表情には好感が持てる。大きくボリューム感を持たせた巻き毛、毛筋のないシンプルな流れ毛など、細部にこだわらないおおらかな造りである。尾は、阿吽とも下部左右に一つずつの巻き毛があり、5本の毛房が立ち上がる。
狛犬4(拝殿前)
■奉献年 昭和五十一年十月吉日(1976)
柴島神社改築十周年記念事業奉賛会
■石工 不明
■材質 花崗岩
■設置 拝殿前
境内でいちばん主要な拝殿前を守護する狛犬。昭和51年奉納の新しい狛犬である。
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