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アジア紀行~(続)ベトナム・ホーチミン⑤~

統一会堂

本日は移動日。15:30発のフライトでダナンに向かう。2時間前にホテルを出れば間に合うから、午前中は有効に使おう。
と言っても、遠くには行けないので、10年前に訪れて印象に残っている戦争証跡博物館に行くことにする。
荷物をまとめておいて、9時にホテルを出る。日陰でも、すでに空気は生ぬるい。歩いてもよかったが、時間のことを考えてタクシーに乗る。約10分で到着。入り口で入場券を買って入り、とても広い前庭から4階建ての大きな建物を眺める。10年前は1万ドンだった入館料が、今は3万ドンになっていた。値上がりしたな~・・・いや、そんなことより、
『ちがう! ここは戦争証跡博物館じゃない。統一会堂だ!』

タクシーを降りた時に気づいてもよさそうだったが、運転手には地図を見せて行き先を告げたので、間違うはずはないと信用しきっていた。
でも、入ってしまったのだし、まあいいかと思い直す。
ここは19世紀のフランス植民地時代に建てられた公邸が、1966年に再建されて大統領官邸になり、1975年の北ベトナム軍進駐によって、戦争に終止符が打たれた場所だ。いわばサイゴン陥落の象徴のような建物だ。
庭には、当時の大統領官邸を砲撃したソ連製の戦車が置かれている。

それにしても、ベトナム人の見学者が多いことにびっくりする。館内で、緑色の軍隊の制服を着た若者たちに出会う。よく見ると、まだ子どもっぽい顔立ちをしている。
ベトナムでは、男子は18歳になると兵役義務が発生するが、若者たちの中には女性も交じっている。高校の軍事訓練の一環かもしれない。
記念撮影もして、みんな楽しそうだった。

急ぎ足で見学した後、表通りに出ると、アオザイを来た女学生らしい数人が互いに写真を撮っていた。軍服との対比が際立つ。

戦争証跡博物館

統一会堂を出て10分ほど歩くと、そこに目指す「戦争証跡博物館」があった。展示物はすべてベトナム戦争に関連するものばかりだ。

こちらは小学生くらいの子どもたちが多い。学校から見学に着ているようだ。彼らの夏休みは、いったいいつからだろう?
前回ベトナムに来たときに、現在のベトナムの出発点はベトナム戦争だと感じた。ホーチミンの町のあちこちに、ベトナム戦争の記録と記憶が刻まれている。

戦争ジャーナリストであった沢田教一さんの有名な写真だ。
1965年、アメリカの爆撃を逃れて川を渡る母子を撮ったもので、「安全への逃避」という題がつけられている。この写真はその年の世界報道写真展大賞となり、さらに翌年にはピューリッツァ賞を受賞した。しかし沢田教一さんは、1970年にカンボジア・プノンペンで狙撃されて死亡する。
その頃に撮った写真はロバート・キャパ賞も受賞することになるが、ロバート・キャパも取材中に地雷を踏んで爆死したカメラマンだ。

ベトナム戦争時に米軍が散布した枯葉剤の被害を受けた双子の兄弟が、1981年に誕生した。彼らはいわゆる「結合双生児」だった。ベトちゃんとドクちゃんである。彼らに話しかけるように、優しい笑顔を見せる看護師さんの表情がとてもいい。撮影したのは、ベトナム戦争当時から取材を続けてきた報道写真家の中村梧郎氏。
ベトちゃんとドクちゃんはその後、日本赤十字医師団により分離手術を受ける。障害が大きかったベトさんは26歳で亡くなったが、ドクさんは健在で、現在42歳。平和親善大使 NPO法人“美しい世界のため” 代表などで活躍しておられる。
ドクさんと日本の縁は深く、たびたび来日しておられるようだ。いつだったか、私もドクさんの講演を聴いた時のことを思い出した。

これも有名な写真だ。戦争で誰よりも苦しい目に遭ったのは子どもたちかもしれない。目を背けてはならない光景だ。題名は「戦争の恐怖」。写真家はベトナム人のニック・ウトさん。1973年にピューリッツァ賞を受賞した。

ほかにも石川文洋さんら日本のカメラマンの写真もあった。ベトナム反戦運動のポスターもあった。

思わず目を覆いたくなるような生々しい写真もたくさん展示されていた。しかし目を背けてはいけないと思う。これらの写真を見て、新たに戦争に踏み出そうとする人間などいない・・・と信じたいが。
しかし現実問題として、ベトナムには戦争を念頭に置いた軍隊が存在するし、21世紀の世界が大国の覇権主義に翻弄されているのも事実である。いつの時代も戦争の被害者は一般の民衆であることを忘れてはいけない。
館内のすべての展示を観たが、以前あったホルマリン漬けの胎児の展示は見当たらなかった。ホッとする。

建物の外に、拷問の島と言われたコンソン島の牢獄を復元した「虎籠」(TIGER CAGES)があった。

狭い牢獄に繋がれ、棍棒で叩いて拷問を繰り返したそうだ。展示されているのはもちろん人形だが、リアルさにドキッとする。
ここにはギロチンもあった。人間はどこまでも残酷になれる。戦争の悲惨さと残酷さが、これでもかと言わんばかりに見る者に迫ってくる。

博物館の敷地から外へ出ると、やっと肩の力が抜ける。
外の通りはバイク地獄・交通地獄だ。ホテルまで歩いて戻るが、暑さと空気の悪さがダメージを与える。

やっとホテルに到着する。ただいま11:30。昼にはチェックアウトをしなければならない。

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