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大阪市の神社と狛犬 ➋淀川区③神津神社~文化年間の小顔狛犬~

大阪市淀川区の地図と神社

大阪市には、現在24の行政区があります。淀川区は淀川の北側にある三つの区の中央に位置します。
淀川区には、神社本庁に加盟する4社があります。(地図参照)
神津かみつ神社は、阪急電車・十三駅から東へ徒歩5分ほどのところに鎮座する神社です。

神津神社

■鎮座地 〒532-0023 大阪市淀川区十三東2-6-39
■主祭神 応神天皇・神功皇后・底筒男命・中筒男命・表筒男命・宇賀御魂神・菅原道真公・少彦名神・猿田彦神
■由緒  神社の創建や歴史については、古記録が失われていて不明な点が多いが、天正年間(1573~1592)にはこの地に八幡神社が祀られていたことがわかっている。明治42年(1909)に周辺七ヵ村の氏神が合祀され、明治44年(1911)に現在の社名である神津かみつ神社に改められた。「神津」は神崎川と中津川から各一字をとって、明治中頃に村名「神津村」となった。

狛犬1

■奉献年 文化五戊年辰八月吉日(1808)
■石工  不明
■材質  花崗岩
■設置  拝殿前

拝殿前の狛犬
拝殿前、文化5年(1808)奉献の狛犬(阿形)
拝殿前、文化5年(1808)奉献の狛犬(吽形)
拝殿前、文化5年(1808)奉献の狛犬の尾(吽形)

拝殿前にある「文化五戊年辰八月」(1808)の狛犬。石工銘はない。花崗岩製で保存状態はよい。
阿吽とも垂れ耳で額がせまく、横に口を開いた顔は横長に見える。吽形も歯を食いしばって閉じているものの、口の両側は開いていて、阿形とほぼ同じ形をしている。この時代に流行した浪速狛犬とは異なる表情といえる。
首の周りの巻き毛や流れ毛には筋が入っている。尾は5本の毛束が大きく直立し、根元の左右に小さく蕨状の巻き毛がある。阿形に男性器、吽形に小さな角がある。

狛犬2

■奉献年 天保四年癸巳(1833)中津廻船中
■石工  不明
■材質  砂岩
■設置  末社 六所神社前

末社 六所神社
天保4年(1833)奉献 六所神社狛犬(阿形)
天保4年(1833)奉献 六所神社狛犬(吽形)
天保4年(1833)奉献 六所神社狛犬(吽形の尾)

境内社(末社)六所神社前の狛犬。
「天保四年癸巳」(1833)に、中津の廻船中が奉献した狛犬である。
神津神社のホームページでは「六社神社」となっている。祭神は、天照皇大御神・天児屋根神・姫大神・事代主神・武甕槌神・経津主神の六柱で、これが社名になっているのだろうか。
狛犬は砂岩製で傷みがあるが、天保期の浪速狛犬の雰囲気をよく伝えている。尾は、中央の巻き毛の周囲に七葉に広がる。

狛犬3

■奉献年 嘉永七年寅三月建之(1854)
■石工  不明
■材質  砂岩
■設置  福永稲荷神社前

福永稲荷神社
福永稲荷神社前の狛犬
嘉永7年(1854)奉献 福永稲荷神社の狛犬(阿形)
嘉永7年(1854)奉献 福永稲荷神社の狛犬(吽形)

境内社の福永稲荷神社前に安置されている「嘉永七年寅三月」建立の狛犬。
江戸時代の古地図にも「小島村宮稲荷社」と載っている。寛政2年(1790)の道標に、次のような文字が刻まれているという。
「右小嶋村宮 稲荷社 すぐハ十三 左りハ本庄 道」
文化・文政・天保の、浪速狛犬最盛期を過ぎた幕末の狛犬である。摩耗、ひびなどの損傷がある。顔の周囲には、下顎を除いて大きな巻き毛がある。誇張型に移行する前の、いまだ伝統様式を残した雰囲気が感じられる。


淀川区の神社・補足 「塚本神社」

淀川区には、もう一社「塚本神社」があります。もとは牛頭天王社でしたが、明治になって八坂神社と改めました。明治42年に、北区の富島神社に合祀されますが、昭和39年に分離して、現在の塚本神社になります。こちらの拝殿前には、昭和45年(1970)奉納の新しい狛犬が置かれています。


■この神津神社の記事は、ちょうど1ヶ月前の6月1日に書いたものでした。淀川区の神社の3社目です。下書きのまま忘れ去られていました。気づいてよかった!


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