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国立国際美術館 特別展「古代メキシコ ーマヤ、アステカ、テオティワカン」(その3)~展覧会#54~


古代メキシコ展note

■その1

■その2

■その3

今回が(その3)最終回です。展示内容としては、第四章「アステカ テノチティトランの大神殿」になります。

(その1)
  ▼第一章 古代メキシコへのいざない
  ▼第二章 テオティワカン 神々の都
(その2)
  ▼第三章 マヤ 都市国家の興亡
(その3)
  ▼第四章 アステカ テノチティトランの大神殿


第四章 アステカ テノチティトランの大神殿

13世紀にメソアメリカ北部から中央部へとやってきたメシーカ人らが、1325年に築いた首都がテノチティトラン(現メキシコシティ)である。この町は、海抜2300mのメキシコ盆地にあるテスココ湖の島に建設された。
最盛期の人口は30万人を超えるという大都市だった。こうして近隣とも同盟を結び、軍事力と貢納制度を背景に、繁栄を謳歌したのがアステカ文明である。
しかし、アステカ帝国の繁栄も長くは続かなかった。スペインによるアメリカ大陸侵略の結果、1521年、ついに首都テノチティトランは陥落し、終焉を迎えることになる。


〈メンドーサ絵文書(複製)〉
(現品:1541年頃)

スペイン征服後、先住民が記録した絵文書


〈男性像〉アステカ文明
(1325~1521年)


〈マスクと耳飾り〉
 マスク・・・テオティワカン文明
(200~550年)
 耳飾り・・・アステカ文明(1469~81年)


〈鷲の戦士像〉アステカ文明
(1469~86年)

鷲の頭飾りを被り、羽毛や鉤爪を身につけている。


〈トラルテクトリ神のレリーフ〉アステカ文明
(1325~1521年)

トラルテクトリ神は、大地の主という生の側面と、戦争や人身供犠という死の側面を持つ。


〈トラロク神の壺〉アステカ文明
(1440〜69年)

トラロクとは雨の神で、メソアメリカでもっとも重要視された存在であった。


〈ミクトランテクトリ神の骨壷〉アステカ文明
(1469〜81年)

人間の血肉を貪るという神。生贄の執行者であり、同時に生をも司る存在である。


〈シウコアトル〉アステカ文明
(1325~1521年)

シウコアトルとは「火の蛇」の意。太陽神などの神々の武器である。


〈エエカトル神像〉アステカ文明
(1325~1521年)

風を意味し、生と豊穣を司る神。鳥の嘴の形に似た赤い口が特徴。


〈プルケ神パテカトル像〉アステカ文明
(1469〜81年)

プルケとはリュウゼツランの発酵酒。パテカトルはその発酵を促す植物を発見した神。


〈サウマドール(香炉)〉アステカ文明
(1325〜1521年)

多彩色土器の香炉


〈テポナストリ(木鼓)〉アステカ文明
(1325〜1521年)

宗教儀礼や戦闘の場で用いられた打楽器


〈テスカトリポカ神の骨壺〉アステカ文明(1469〜81年)

テスカトリポカは夜空の神で、神々の中で最も大きな力を持つとされる。


〈ウェウェテオトル神の甲羅形土器〉アステカ文明
(1486〜1502年)

ウェウェテオトルは火の神で、目を閉じて2本の歯を突き出している。


〈金製品〉アステカ文明
(1486〜1502年)

近年「テンプロ・マヨール」から出土したもの




今回の古代メキシコ展では、約140件もの考古・民族資料が展示されていました。これらは、メキシコ国立人類学博物館をはじめ、アルベルト・ルス・ルイリエ パレンケ遺跡博物館、テンプロ・マヨール博物館、テオティワカン考古学ゾーンなど、メキシコ国内の主要博物館が所蔵しているものです。

展覧会は撮影可能だったので、ほとんどの展示品を撮影しました。一部noteに書けなかったものもありますが、3回に分けてかなりの展示の紹介ができたと思います。これから展覧会に出かけようとお思いの方や、古代メキシコ文明に興味をお持ちの方にとって、参考になれば幸いです。

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