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大阪髙島屋「高野光正コレクション 発見された日本の風景」~展覧会#42~

スタートは2021年京都国立近代美術館

2年前の秋、京都国立近代美術館で「発見された日本の風景 美しかりし明治への旅」という展覧会が開催された。

幕末から明治にかけて大勢の外国人が日本を訪れるようになるが、その中には画家もいた。彼らは、日本の美しい風景や珍しい風俗を描き、それを故郷への土産にした。日本人の画家たちは、外国人画家が描く西洋風の絵画の影響を受け、その画技を学びながら、浮世絵とはまったく異なる新しい技法で日本の風景や風俗を描くようになった。彼らはそれを外国人に販売し、あるいは留学先で販売した。こうして明治の日本を表現した油彩画や水彩画が、海外で愛好されるようになった。
日本では忘れ去られていたこのような作品を、海外で収集したのが高野光正というコレクターである。彼の明治絵画のコレクションは700点にも及ぶという。京都国立近代美術館での展覧会では300数十点が紹介されたが、その後規模を縮小して各地を巡回し、この秋、大阪髙島屋で「高野光正コレクション 発見された日本の風景」が開催された。


大阪髙島屋での展覧会

大阪髙島屋グランドホールで開催された展覧会では、115点の絵画が展示されていた。水彩画が8割、油彩画が2割で、水彩画が圧倒的に多かったが、しっかりと緻密に描きこんでだ水彩画の中には油絵と見まがうものもあった。
特に、ポスターやチラシに載せられていた笠木治郎吉かさぎじろきちの作品は、高野光正氏のコレクションが公開されたのがきっかけになって注目を集めたという。

笠木治郎吉〈提灯屋の店先〉
https://artexhibition.jp/topics/news/20230905-AEJ1574404/
笠木治郎吉〈漁網を編む男性〉
https://artexhibition.jp/topics/news/20230905-AEJ1574404/

◆笠木治郎吉

幕末の文久2年(1862)生まれ。石川県金沢の出身と伝わる。10代で横浜に出て絵を描き始め、英国人チャールズ・ワーグマンや五姓田芳柳らの影響を受けて技術を磨いた。20代前半で妻と子どもを亡くしたという。90年に渡米し、帰国後は明治美術会の会員として明治から大正時代にかけて活動していた。海外に開かれていた横浜に居住していたことから、作品のほとんどが国外に流失した。柳行李いっぱいに保管していた下絵やデッサンは関東大震災や戦火により消失し、国内に残る作品は少ない。1905年にヨシと結婚。大正10年(1921)に死亡した。

笠木治郎吉については、『朝焼けと狩人 幻の画家、笠木治郎吉の生涯』(細井聖・著 かまくら春秋社)がある。

本展では水彩画11点が展示されていたが、上の写真の2点が特に印象に残った。
〈提灯屋の店先〉は、提灯を作る店の男主人、踏み台に乗って提灯を飾る女性、その女性に提灯を手渡す男の子の3人が描かれている。
眼鏡をかけた男主人はもうかなりの年齢で、はげあがった頭の後方には髷らしきものが見える。女性はこの家の嫁か。姉さんかぶりにたすき掛け、いかにも働き者に思われる。頬が赤らんでいて健康な美しさがあふれている。少し背伸びをした子どもの髪型もかわいい。それぞれの視線が異なる方向を向くが、人の位置が三角形になっていて安定感がある。

〈漁網を編む男性〉は、板敷きの漁師小屋で黙々と漁網を編む男性が描かれている。この男性もまだ髷を残している。細かい網の目を見つめる男の目が鋭い。上から吊された細かい網の目まで精緻に描かれているのがすごい。


展覧会の構成

笠木治郎吉の紹介が先になったが、本展は次のような構成になっていた。

<序章> 明治洋画史を眺める
<第一章>明治の日本を行く
<第二章>人々の暮らしを見る
<第三章>花に満たされる
<特別展示>幻の画家 J. Kasagi こと笠木治郎吉とは?

印象としては、明治の早い時期の日本人の水彩画は、あまりうまくない。外国人画家の風俗画のほうがずっとうまく、おもしろい。外国人にとって明治の日本の文化や風俗は、とても興味深いものであっただろう。また美しい日本の自然にも絵筆が動いたようだ。
しかし、日本人画家の作品も、水彩・油彩を問わず、しだいにうまくなっていく。五百城文哉の油彩〈日光東照宮陽明門〉は、重厚華美な陽明門をみごとに描ききっていて素晴らしい。

展覧会全般としては、特に有名な画家の作品があるわけではなく、地味な印象だが、明治の日本の姿を作品を通じて知ることができるという意味で、貴重な展覧会だったと思う。



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