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大阪市の神社と狛犬 ⑰東成区 ⑦深江稲荷神社~境内社を守る大先輩の狛犬~

大阪市東成区の地図と神社


大阪市には、現在24の行政区があります。東成区は大阪市の東部に位置し、北は城東区、東は東大阪市、南は生野区、西は中央区・天王寺区と接しています。主要道路の集まる今里交差点は、通称「今里ロータリー」と呼ばれ、この付近が区の発展の拠点となっています。
この辺り一帯は、古代において、上町台地の東側の低湿地に流れ込む淀川と大和川の土砂が堆積してできた土地で、「東にる」ことから「東生ひがしなり」と呼ばれたといいます。奈良時代の和銅年間には新しい郡郷の制度ができ、上町台地の東が「東生郡」、西が「西成郡」と定められました。「東生・東成」の地名は、まさに1300年以上の歴史をもつ由緒あるものです。

東成区には、八王子神社御旅所も含めて神社が6社あります。さらに熊野大神宮に隣接する妙法寺の境内社を含めると7社になります。東成区では、この7ヶ所の狛犬を訪れます。今回はいよいよ最後の深江稲荷神社です。

深江稲荷神社は、東成区の東南、大阪メトロ千日前線の新深江駅から東へ約700mほどの地にあります。旧深江村の氏神で、古くは笠縫かさぬい氏が居住した地域だと伝えられています。境内は、「笠縫邑跡」「深江菅笠ゆかりの地」として大阪府、大阪市から史跡に指定されています。


深江稲荷神社

■所在地 〒537-0002 大阪市東成区深江南3-16-17
■主祭神 稲倉魂大神うかのみたまのおおかみ猿田彦大神さるたひこのおおかみ天鈿女大神あめのうずめのおおかみ
■由緒  当社は垂仁天皇の御代、笠縫かさぬい氏の祖がこの地に居を定め、下照姫命を奉祀したのが始まりとされる。その後、元明天皇の和銅年間に山城国稲荷神社の御分霊を勧請したと伝えられている。境内には、笠縫部の祖を奉祀する笠縫神社がある。  

深江稲荷神社 神門と社号標など


狛犬1

■奉献年 平成六年十一月吉日(1994)
■作者  不明
■材質  花崗岩
■設置  拝殿前

深江稲荷神社  拝殿と狛犬
拝殿前の平成狛犬
拝殿前の平成狛犬(阿形)
拝殿前の平成狛犬(吽形)

現在の社殿は、平成5年(1993)年に改築されたもので、狛犬はそれに合わせて翌年の平成6年に奉納されたものと思われる。台座に奉納者の名前が彫られている。
境内の地面が露わで寒々しかったが、拝殿手前右にある御神木の大楠のそばに植わっている夏みかんの木が、ほんのりと温かみを感じさせた。

夏みかんの木

その横には、万葉の歌人高市黒人の歌碑がある。

四極しはつ山 うち越え見れば 笠縫の
島こぎ隠る 棚なし小舟をぶね

万葉集巻三・272

万葉の昔、この辺りは難波の内海が迫っていたのだろう。高市黒人は、旅の歌人として知られている。


狛犬2

■奉献年 寛政?
■作者  不明
■材質  砂岩
■設置  御食津みけつ神社(榎稲荷神社・榎乃神社)前

御食津みけつ神社と狛犬

深江稲荷神社の本殿・拝殿は東向きに建てられているが、境内北側の玉垣内に数社の境内社が並んでいる。そのうちのいちばん右側(東側)の小祠の前に、明らかに江戸時代の浪速狛犬とわかる一対の石造狛犬が置かれている。
神社名の表示がないが、横に「榎乃神社」と書かれた石柱があった。深江稲荷神社のホームページに、「末社 御食津神社(榎稲荷神社)」とあるのがこの社だと思われる。
ご祭神は豊受大神とようけのおおかみ御食津大神みけつおおかみで、どちらも食物・穀物を司る女神である。稲荷神と習合し、同一視されるようになる。
「榎乃神社」とか「榎稲荷神社」という名前は、かつてそばに榎木があったからだろう。

榎乃神社石柱
御食津みけつ神社の浪速狛犬
御食津みけつ神社の浪速狛犬(阿形)
御食津みけつ神社の浪速狛犬(吽形)
御食津みけつ神社の浪速狛犬
御食津みけつ神社の浪速狛犬(阿形)
御食津みけつ神社の浪速狛犬(吽形)

狛犬は表面の剥落や亀裂など、損傷が大きい。阿吽共に垂れ耳だが、吽形の耳は上部が盛り上がっている。目は中央に瞳がある。吽形は頭上に小さな角を持つ。
台座の文字はほとんど読めない。狛犬の顔つきは、たとえば東大阪市の吉田春日神社の享和元年(1801)とよく似ている。寛政から享和の浪速狛犬だと推定できる。そう思って紀年銘らしき文字を見ると、「寛政」という文字が浮かび上がってくる。
すでに二百歳を超えた狛犬さん、いつまで神様をお守りしてくれるだろうか。

御食津みけつ神社の浪速狛犬の台座銘



深江稲荷神社の境内

〈狐像〉

稲荷神社といえば狐像がつきものだが、ここまでは見当たらない。境内を見て回ると、拝殿・本殿の北側の塀沿いに並んでいた。どこかの社殿用に奉納されたものであろう。

境内の狐像


〈「深江菅笠ゆかりの地」「摂津笠縫邑跡」の石柱〉

石柱

由緒のところにも書いたが、垂仁天皇の御代に、笠縫かさぬい氏の祖がこの地に居を定めたという。笠縫邑の比定地は奈良県の各地にあるが、その一族がこの深江に移住してきたのだろうか。
深江は菅笠の産地として有名で、伊勢音頭にも「大阪はなれてはや玉造、笠を買うなら深江が名所」と歌われている。現在は産業としての菅細工は廃れてしまったが、その技術は深江稲荷神社が中心となる「深江笠縫保存会」に受け継がれ、天皇の大嘗祭や伊勢神宮の式年遷宮の際に、大型の祭祀用菅笠が調進されている。



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