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2024年8月の俳句

葉月の語源は何だったかな?

8月の陰暦名は「葉月」。
その語源は・・・? と、昨年も考えた。すっかり忘れてしまっている。歳を取ると、新しい記憶が定着しないのはよくあることだが、やはり寂しい。
1年前の投稿を振り返ると、次のように書いてあった。

陰暦(旧暦)8月の異称は「葉月」。
なんとなく、葉が生い茂る月の意味かと思っていたが、それは間違いだった。陰暦で8月は「中秋」だから、木々の葉は紅葉し始め、やがて地面に散っていく。「葉月」は「葉落ち月」の略だという。ほかにもいろいろ説があるそうだが・・・。

そうか、「葉落ち月」だったか。しかし実感ゼロだね。

8月は「猛暑」のひと言だった・・・らしい。「らしい」というのは、この月の半分近くは入院していたからだ。自宅にいる間も、外出することはほとんどなかった。
それでも、空の雲や窓から入り込む風に季節の移ろいを感じてきた。


蝉の声、さまざまな音

8月初旬。
家にいると、相変わらず蝉の鳴く声で目が覚める。メゾネットの下の部屋から見上げると、もう青空が広がっている。



朝蝉の声隙もなし息を吐く


1日の半分はこの部屋で過ごしている。まだ活動する力が湧いてこない。やがて日が暮れかかる。



夕暮れや最後の蝉の声消えて闇広がりぬ我伏す部屋に



夜、蝉がガラス戸に衝突するような音がする。ジジジと悲しい声。


お前もか眠れぬ夜の迷い蝉


目をつぶって横になっていると、音に敏感になる。空気の振動を感じる。
8/3は淀川で花火大会があったようだ。


宵闇や音だけで知る花火かな


8/4から3日間ほど、午後、激しい雷雨が続いた。湿った風が部屋の温度を下げてくれる。雷の音に、思わず空を仰ぎ見る。


雷鳴を聞きて虚空に線を引き



広島、長崎の日

今年も、広島原爆の日、長崎原爆投下の日があいついでやって来た。あのおぞましい日から79年が経つ。死者はそれぞれ14万人、7万人という。現在も存命中の被爆者は、全国各地に約10万人おられるそうだ。平均年齢は85歳を超える。

世の中には不条理という言葉でしか表現できない出来事がたくさんある。「自業自得」などという言葉があるが、彼らにどんな「業」があったというのか。

最近、FacebookやLINEの友達や仲間が、名前だけを残してこの世を去って行くことが増えてきた。親しかった学友の名前だけが抜け殻のようにサイバー空間に漂っている。
原爆忌、そんな友のことを思い出してしまった。

先立ちし友思い出す原爆忌


立秋

8/7、立秋。今年も名前ばかりの「秋」がやって来た。暦の上では今日から秋になる。二十四節気では、次の節目となる「処暑」(8/22)までの期間をもいうようだ。

この日、マンションの中庭に剪定業者が入った。ついでに、無作法に伸びた我が家の庭木の剪定もお願いする。


立秋の風まだ熱し庭木剪る



自宅療養も今日まで。明日からまた5日間の入院だ。今度で3回目の化学療法になる。


過ぎゆく日々

8/8、市民病院入院。今回は西側に面した病室に入る。窓の外の景色がかわる。




翌日から48時間の化学療法点滴始まった。
3度目ともなると、5日間の入院生活がだいたい想像できる。
朝夕窓から見る空、楽しめない三度の食事、夜中に見続ける訳のわからない夢、延々と落ち続ける点滴のしずく。

しかし、ここには言いがたい安心感がある。守られている気がする。
幸い大きな副作用もなく、淡々と一日一日が過ぎていく。

病室に持ち込んでいる文庫本はたった1冊。浅田次郎の『天子蒙塵』の第1巻だが、それさえも右眼の視野異常でまともに読めない。人間のからだや機能が、左右のバランスで保たれていることがよくわかる。
折よく始まった高校野球の放送が、退屈を紛らわせてくれる。


守られて過ぎゆく日々や甲子園


そして8/12、無事退院。この日は「山の日」で祝日だった。いったいいつ制定された休みなのか、よくわからない。
東側の病室からは正面の生駒山から南北に連なる山々が見えたが、西側の窓から見えるのは、箕面から五月山、そして六甲山に連なる山々だろうか。




山の日や遠き峰見て退院す


1週間

化学療法は2週間ごとに繰り返す。一度入院すると5日間。そして退院自宅で10日間。この繰り返しだ。
しかし今回は、途中1泊で点滴ポートの埋め込み手術を行うので、自宅で過ごすのは1週間だ。

病院では、食事や就寝前ごとに看護師さんが薬を持ってくる。しかし自宅では大量の薬を自分で管理することになる。薬袋がいっぱい詰まったケースを目の前に置き、食事のたびごとに必要な薬を取り出す。メモ用紙に、のんだ薬の名前や時間を記入していく。記録を残す行為が生きている証であるようだ。

目の前に薬並べて蝉を聴く

目を閉じて歯を磨く手に朝の風


8/15、終戦の日。教え子から花が届いた。

幾人の霊に届くや黙祷す

争いも病も失せよ花届く

うれしきや孝子の縁ぞ花届く


「うれしきや」の句は、ちょっと遊んでみた。
退屈を紛らわせてくれる甲子園。昨日は残念ながら地元大阪代表は敗退したけれども・・・。
花を贈ってくれたのは、今や50代後半の卒業生。しかし私にとっては、いつまでもかわいい教え子である。親孝行な子どもたちだ。そんな縁が長く続いていることが、本当にうれしい。



8/16、五山送り火。

送り火の燃え尽くる夜や魂つなぐ


8/17、カブトムシ。
カブトムシとメダカを飼っている。10歳の愛孫SAYAと2人で育てている。カブトムシは昨年我が家にやって来た「マッチャ」や「ミドリ」の子どもたちである。大きな飼育ケース4つの土の中で、20匹以上の幼虫が越冬し、6月頃から成虫になった。ちょうど私が入院し始めた頃だった。その間は、SAYAがひとりで土を替えたり、カブトムシゼリーを買ってきて育てていた。
この夏の猛暑は、カブトムシたちにとっても厳しかったと想像する。少しずつ命尽き、やがて形骸だけになった。

しかし彼らが育った土の中には小さな白い卵が残されていた。命の輪を感じる。季節が動いている。

甲虫むくろとなりて今朝の秋



秋の気配

新しい週が始まる。今週後半は4回目の化学療法。その前に、外科に入院して点滴ポート埋め込み手術をする。
この手術、なかなかスリリングだった。局所麻酔なので、意識はある。痛みや圧迫感がからだを揺さぶる。
チクッ、ズシッ、ギュー、ググッ、ウッ。
皮膚の焦げた臭いや、手術中の医師の声も生々しい。
1時間半後、異物が私の皮膚の内側に新しい居所を定めた。

8/22、点滴ポートを埋め込んで退院した翌日を挟んで、再び入院。
この日は、二十四節気の「処暑」。立秋から数えて15日目にあたる。「処」には落ち着くという意味があり、暑さがおさまる時節をいう。

いざ生きん病治まる処暑の朝



8/23、 夏の高校野球がクライマックスを迎えた。優勝したのは、京都国際高校。韓国語の校歌が甲子園球場に響く。


熱闘を終えて球児の秋来たる


8/24、化学療法点滴2日目。キャスターのついた点滴の脚台と二人三脚の生活だ。点滴台の足元を見て、ふと気づく。何かに似ている。モクレンの白い花!

点滴の台や初秋のハクモクレン




モクレンに似た点滴の脚台よ伴に清しい秋の空見る


8/25、入院4日目。毎朝、空を見ることから一日が始まる。
5時半。そろそろ夜明けだが、厚い雲が空を覆っている。遠くの右半分は煙っていて山が見えない。雨が降っているようだ。



このところ、夕立のような雷雨はあっても、しっとりした雨が降ることはない。しばらく外を眺めていると、景色が一変した。白い雨だ。
夏を洗い流すような秋らしい白い雨。季節が動いているのを感じる。



夏洗ふ白き世界や今朝の雨


音もなく降る白い雨は、長くは続かなかった。
やがて空は晴れ、明るい一日が始まる。昨日とは違う、更新された一日が。



8/26、退院。直前にアクシデント!
病室の椅子から立ち上がる時に、左の足首をぐねる。痛みはないが、感覚もない。念のため、X線撮影をしてもらう。幸い骨には異常なし。しかし、痺れたような無感覚が気になる。
5月下旬から始まった体調不良が思いも掛けない方向に展開し、3ヶ月が経過した。化学療法も、なんとなく4回ぐらいを想定していたが、その4回目を終え、まだゴールは見えない。
今は目の前の回復のみを信じて、治療を続けていこうと思う。

帰宅してカブトムシの飼育ケースを見ると、入院前には小さな卵だったはずが、すべて孵化して2~3cmほどの幼虫になっていた。全部で十数匹はいるようだ。大きめの2つのケースに土ごと移動し、これから始まる長い生活の準備をする。

新しき生命いのちうごめく野分前




4回目の化学療法を終え、退院して5日が経ちました。8月31日といえば、昔は夏休みの最終日。2学期を翌日にひかえて、うれしいような残念なような、微妙な一日でしたね。今はほとんどの地域で早めに2学期が始まるようになっています。土曜日が休日になって、授業日数の確保が必要になったからですね。

今回のnoteも、病中記のような内容になってしまいました。日々の記録は、スマホにメモの形で残していますが、1ヶ月を振り返るのは、けっこう時間がかかりますね。今もまだ紀伊半島付近にいるノロノロ台風10号のように、私もノロノロと「2024年8月の俳句」を書き進めました。

さて、一区切り。希望の9月が訪れますように。




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