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大阪市の神社と狛犬 ➌西淀川区②野里住吉神社~一夜官女を守る狛犬~

大阪市西淀川区の地図と神社

大阪市には、現在24の行政区があります。西淀川区は淀川の北側にある三つの区の西側に位置します。
西淀川区には、神社が9社があります。(地図参照)
9社のうちの5社が海の神を祀る住吉神社ですが、他の神社もほとんどが住吉大神をお祀りしています。
現在の野里住吉神社は、淀川から少し離れていますが、明治に行われた河川改修工事以前は淀川に面していました。境内南側に残る土手は、当時の堤防の名残です。

野里住吉神社

■鎮座地 〒 555-0024 大阪市西淀川区野里1-15-12
■主祭神 底筒男命・中筒男命・表筒男命・神功皇后
■由緒  永徳2年(1382)、足利義満が野里村を水害や災害から守る守護神として野里住吉神社を創建したという。また戦国時代の初めの野里川の合戦の際、戦勝祈願のために足利義満が勧請したとも伝えられている。
この神社には次のような不思議な伝説がある。

中津川の水害と悪疫に苦しむ野里村では、毎年若い娘を人身御供として捧げることによって神の怒りをしずめていた。神の生け贄になった娘は、唐櫃に入れられて「瀧の池」と呼ばれる場所に運ばれて放置された。あるとき村を通りかかった一人の武士がこの話を聞きつけて不審に思い、娘の身代わりになって唐櫃に入り神社で待ち受けた。そして、ついにこの神を退治したのだった。この神というのは実は大きな狒々で、その武士の名は岩見重太郎といった。

18世紀末の寛政年間に発行された『摂津名所図会』にも「この里の民家より十二、三ばかりの女子に女裳を改め神供を備ふ。これを野里の一夜官女といふ」と記されており、古くから神事が行われていたことがわかる。野里住吉神社の境内には「一夜官女乙女塚」があり、現在も毎年二月に「一夜官女祭」が行われている。

狛犬1

■奉献年 寛政十一己未年八月吉日(1799) 
     世話人 半兵衞 伊兵衞 忠兵衞 磯右衞門 
■石工  不明
■材質  花崗岩
■設置  拝殿前

野里住吉神社拝殿と狛犬
寛政11年(1799)奉献の狛犬(阿形)
寛政11年(1799)奉献の狛犬(吽形)
寛政11年(1799)奉献の狛犬(吽形)
寛政11年(1799)奉献の狛犬(阿形)

「寛政十一己未年八月吉日」(1799)奉献の浪速狛犬。寛政年間(1789~1801)の浪速狛犬は、約40対確認されている。この頃から狛犬の奉献数が増え、花崗岩製の大型狛犬も造られる。
野里住吉神社の花崗岩製狛犬は、像高80~90cmほどで、瞳のある丸目の上に、内側に巻いた4本の毛が眉のようになっている。上を向いた鼻は小さく、口もほどほどの大きさである。耳は阿吽とも小さな垂れ耳で、吽形の山型の頭上には角がある。たてがみは背中の上部まで流れ、脊梁がある。
全体的に穏やかで落ち着いた印象の狛犬である。

境内に淀川戎神社があるが、こちらには狛犬さんはいません。


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