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4月の俳句(2023)

始まりの月

新しい年度が始まった。といっても、残念ながら身の引き締まるようなことは特にない。これまでは4月になると、新年度の準備に少しは緊張したものだが・・・。
4月1日、子どもの頃は「四月馬鹿の日」と言った。変な呼び名だと思っていた。そのうち「April Fool’s Day」の直訳だと知った。「万愚節ばんぐせつ」とも言うらしい。こちらは何か謂れがあるのかと思ったら、こちらも「All Fool’s Day」の訳らしい。

万愚節仕事なき日の始まりぬ

残念ながら、四月馬鹿のジョークではなくなった。リセットが必要!

4月から、子どもたち(孫たち)の学年がプラス1になり、上の子は中学生になった。子どもの成長のはやさに、改めて驚かされる。

入学の子の制服の裾長き

訃報

ニュースで報じられる訃報に心を揺さぶられる年齢になった。今年に入って、3月には大江健三郎さんが亡くなり、続いて坂本龍一さんが亡くなった。学生の頃、初めて読んだ大江健三郎作品に強烈な印象を受けたことを思い出す。
坂本さんの訃報は4月3日。晩年は闘病生活を続けながら、東北復興支援プロジェクトなどにも積極的に参加しておられた。昨年末に配信されたピアノ・ソロコンサートでの坂本さんの細い指先が痛ましかった。
坂本さんが好きな言葉は、「芸術は長く、人生は短い」だったという。71歳で幕を閉じた坂本さんの人生は、やはり短かっただろう。
今年の1月には、YMOの高橋幸宏さんも亡くなっている。

玉の緒の絶えて桜の散りにけり

花散りてYMOも遠くなり

清明

4月5日は、二十四節気の清明だった。春の日差しを受けて、全ての命が清らかに輝き出す頃である。

この日、散髪に行った。家から歩いて5分ほど、万博記念公園に向かう坂の途中に店がある。
帰りは早足で坂道を下る。スッキリした髪に春の風が通り過ぎていった。

清明の日に髪切りて坂下る


狛犬巡り

横浜から同好の士がやって来た。傘寿というのにお元気だ。青春十八切符を使って、「青春八十切符の旅」としゃれている。
天気予報では雨の予想だったが、一日曇り空で、狛犬の写真を撮るには最適だった。

八重桜咲けり八十路も花咲けり

狛犬を追うて卯月の日も暮れぬ


春の雨

春はなぜか雨が多い。「花の雨」「桜雨」「花散らしの雨」「花時雨」など、桜の花に関わる雨の呼び名がたくさんある。「こぬか雨」「春の長雨」という言葉もある。

4月8日はお釈迦様の花祭り。夜の雨は明け方にはあがった。今年は桜の開花が早かったので、新学期が始まるこの頃には、ソメイヨシノは散ってしまった。

花散るや夜来風雨の朝静か

マンションの中庭に出ると、どこからかウグイスの鳴き声が聞こえてきた。竹藪がある裏のお寺の方で鳴いているようだ。都会でも、小さな森があれば、鳥たちはやって来る。見上げると、小さな雨粒が顔にかかった。

うぐひすの声ひびく空春の雨

うぐひすのいづくに鳴くか春の雨

夜、遠くで雷の音がする。次第に近づいているような気がする。突然の爆音に、はっと顔を上げる。

闇に聴く遠き春雷書を閉づる


クラス会

久しぶりに、中学時代のクラス会があった。「緑中学校」という名の、当時は新設校だった。半数は「すみれ小学校」時代の同級生でもある。どちらもかわいい名前だ。
昨年の夏に開催予定だったが、コロナ蔓延の時期と重なって、やむなく延期となった。そして今回は無事開催の運びとなったが、この間に一人の友が冥界に旅立った。

同窓会まづ黙祷から始まりぬ

友垣の集ひて春の雨静か

中学校を卒業してはや半世紀以上が過ぎる。行方のわからない友も多い。病を抱えている人もいる。そんな中で今回は15名が参加した。よく集まれたとよろこぶべきか。次回まで皆さんお元気で。

友が乗る 車椅子押す 友がいて 見守る友がいる 春の午後


「仮」

「2070年には、日本の総人口は8700万人になり、その1割は外国人が占める」。そんな記事が先日の朝日新聞のトップにあった。少子化と外国人労働者の問題は、緊急である。

さまざまな事情で来日する外国人がいる。帰りたくても帰れない人もいる。日本に滞在する「オーバーステイ」の外国人は、6万人を超えるとか。国外への退去命令が出ても帰れない人の多くは、入管(出入国在留管理庁)に収容されることになる。祖国に戻ると迫害などのおそれがある人は難民申請をする。しかし日本は、難民認定が1%にも満たない「キビシイ」国である。
この難民申請の回数などに変更を加えた「入管法改正案」が、28日、衆院法務委員会で可決された。難民申請を望む外国人は、さらに厳しい状況に陥るだろう。

入管には、条件付きで収容が解かれる「仮放免」という制度がある。イラン国籍の青年Sさんも、仮放免中だった。彼はイランの西部のクルディスタン出身だと教えてくれた。いわゆる「クルド人自治区」である。
Sさんは大阪のカトリック教会が所有しているシェルターにいたが、吹田市の牧師さんの紹介で、西成区の天下茶屋の長屋に引っ越すことになった。私が頼まれたのは、彼をカトリック教会でピックアップして、車で天下茶屋まで送ることであった。
Sさんは祖国ではレスリングの選手で、来日してからも子どもたちに教えていたという。その後、仕事を転々とし、オーバーステイになってしまったようだ。
彼が祖国に帰らない理由は聞かなかったが、健康で礼儀正しい青年が、ビザが切れたという理由だけで入管に拘束されることには、割り切れないものがある。
仮放免を希望しても、保証人・保証金・住む場所がなければ認められないのだ。たとえ認められても労働は禁止されている。

話が長くなってしまった。
Sさんはとりあえず自分だけの仮住まいを手に入れたわけである。この日もまた小雨が降る一日だった。

春雨やクルド男子をのこの仮住まひ


テレビをつけたら、俵万智さんが出ていた。あの『サラダ記念日』で短歌の新鮮さを人々の心に印象づけた俵さんも、すでに還暦を迎えたという。
その俵さんでさえ、一首をつくるのに何週間もかかることがあるそうだ。

言葉は言葉を紡いでいく。しかし言葉だけを見ていると心から遠ざかってしまう。言葉と心は一対で、心から離れた言葉は生きていない。

そんな内容だった。創作の世界の深さを思う。




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