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大阪市の神社と狛犬 ⑲阿倍野区 ④阿倍王子神社~睥睨する青銅狛犬~


大阪市阿倍野区の地図と神社



大阪市には、現在24の行政区があります。阿倍野区は、上町台地の南の高台に位置し、古くから大阪南部の交通の要衝として栄えてきました。天王寺区との区境にある北部には交通機関が集結し、多くの商業施設が建ち並んでいます。特に、地上300mの高さを誇る超高層複合ビル「あべのハルカス」は、天王寺・阿倍野のランドマークになっています。区名の「阿倍野」は、古代にこの地を領有していた豪族「阿倍氏」の姓からとする説が有力です。

今回は、阿倍王子神社にお参りします。安倍晴明神社から50mほど南、旧熊野街道沿いに鎮座します。
「王子」は、12世紀から13世紀にかけて、皇族や貴人の熊野詣に際して先達をつとめた修験者によって、参詣途上で儀礼を行う場所として形成されました。その数から「九十九王子」と呼ばれていますが、阿倍王子神社は、大阪府内で、唯一旧地に現存している王子です。

阿倍王子神社 西側鳥居横の石碑
熊野街道


阿倍王子神社

■所在地 〒545-0034 大阪市阿倍野区阿倍野元町9-4
■主祭神 伊邪那岐命・伊邪那美命・速素盞嗚尊(この三神は熊野王子神)・応神天皇(八幡神)
■由緒  神社に伝わる縁起絵巻『摂州東成郡阿倍権現縁記』によると、仁徳天皇による創建とされる。阿倍野は古代の豪族阿倍氏の居住した土地で、奈良時代には氏寺として阿倍寺があり、当社は氏神としての「元宮」であったと考えられる。平安時代になると阿倍氏は衰退し、阿倍寺は四天王寺に併合されてしまう。この頃から熊野信仰が盛んになり、当社が熊野街道の途中に位置していたことから、熊野王子社の一つとなった。中世以降も、阿倍野村の氏神として信仰を集め、現在に至っている。 


阿倍王子神社 東側鳥居


狛犬1

■奉献年 昭和十一年一月(1936)/創立四十周年記念/阿倍野 親和會
■作者  大阪八幡筋 越伊銅器店製
■材質  青銅
■設置  拝殿前

阿倍王子神社拝殿
拝殿前  青銅狛犬(阿形)
拝殿前  青銅狛犬(阿形)
拝殿前  青銅狛犬(吽形)
拝殿前  青銅狛犬(吽形)
拝殿前  青銅狛犬(吽形・阿形)
拝殿前  青銅狛犬(吽形)

本殿、拝殿は昭和42年(1967)に再建されたものである。拝殿前の青銅狛犬は、昭和11年(1936)奉献なので、旧拝殿前に安置されていたものだろう。背の高い台座の上から見下ろす狛犬は、地面を鷲づかみにするように坐し、どっしりとして威厳がある。胸元には鈴をつけている。
制作者の「大阪八幡筋 越伊銅器店製」については、残念ながらわからない。


狛犬2

■奉献年 平成十一年三月吉日(1999) 金婚記念
■作者  不明
■材質  花崗岩
■設置  春夏冬あきない社前

春夏冬社
春夏冬社前狛犬(阿形)
春夏冬社前狛犬(吽形)


阿倍王子神社の拝殿の南側に、小さな境内社が向かい合って建っている。東向きの境内社には「春夏冬社」という神額が掲げられている。四季の春夏秋冬のうち「秋」がないので「あきない」と読む。「あきない」は「商い」に通じるので、商売の神様になっている。
ところで、この社殿だが、以前お参りしたときには、もっと古かったはずだ。Wikipediaで調べてみると、昔の社殿の写真があった。

旧本殿


この古い社殿は、明治41年(1908)建立の旧本殿だが、ごく最近に修理されたようだ。以前は総合末社と呼ばれ、天照大神をはじめ9柱の神々をお祀りしている。
拝殿の前には平成11年(1999)に奉納された石造狛犬が安置されている。

この春夏冬社と向かい合って鎮座しているのが水神社である。水神社にも小さな狛犬さんがいた。

水神社
水神社狛犬




境内にはほかにも、安倍晴明の伝説上の母親(霊狐)である葛の葉を祀る「葛の葉稲荷神社」や、熊野の八咫烏大神を祀る「御烏社」などがあります。
当社も境内での写真撮影については厳しく、社務所での申請許可が必要です。神様へのお参りが最優先であることを忘れないようにしたいですね。






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