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アジア紀行~ミャンマー・バガン②~

「ガジュマルの木」

 「行っておいで」
 母さんは、僕に小さな風呂敷包みを持たせて、僕の背中にやさしい声をかけた。肩にかけた布のかばんからは、朝早く母さんが作ってくれた揚げパンの温かみが伝わってくる。
 新しいサンダルは少し大きかったが、僕はいつもより大股で村の入り口にあるガジュマルの木を目指して歩き始めた。母さんは、僕の姿が見えなくなるまで、ずっと戸口に立って手を振っていた。一度僕が立ち止まって振り返ったときの母さんは、少し悲しそうに見えた。僕は母さんの顔を見なかった振りをして、大きく手を振って駆け出した。
 ガジュマルの木の下には、すでに村長さんと、僕と同い年のソー・ナインが待っていた。ソー・ナインは僕より背が高いが痩せていて、なんだか元気がなさそうに見えた。頬にまるく塗られたタナカが、ソー・ナインの顔を幼くしていた。

 朝のガジュマルの木はいい。夜になると、無数に垂れ下がった気根が幽霊のようで気味が悪いが、太陽が昇ると、大きな木陰を作ってくれる。特に朝のガジュマルの木の下は、涼しい風の通り道になる。
 日が暮れてから、僕がこのガジュマルの木のそばを通ったのは2回だけだ。一度は父さんと、隣村に住むミー・アウン叔母を訪ねた帰りだったが、僕は父さんの手をしっかり握っていたので怖くはなかった。もう一度は、友達といっしょに遠くの山へ山菜を採りに行ったときだった。思ったほど採れなくて、ぐずぐずしているうちに夕暮れになってしまった。みんな大急ぎで村まで走ったけれど、山の向こうに日が沈むと、あっという間に真っ暗闇になる。ガジュマルの木の大きな影が、闇の中でさらに黒々と見えたときは、心臓がドキドキして口から飛び出しそうだった。僕はほとんど目をつぶって、ガジュマルの木を遠ざけながら、家まで走って帰った。

 今、同じガジュマルの木の下で、村長さんはやさしい笑顔で僕を迎えてくださった。
 「おはよう、ティン・ソナー、元気かい」
 僕は胸の前で手のひらを合わせて、村長さんにお辞儀をした。
 僕たちがこれから向かうのは、山を二つ越えたところにあるお寺で、なんだか長い名前がついていて覚えられない。僕とソー・ナインの二人は、その寺の見習い僧になることになっていた。お寺は寺子屋みたいなところで、勉強も教えてくれる。僕は父さんから字の読み方を少し習ったけれど、難しくてまだあまり読めない。見習い僧になったらきっとお経も読まなくちゃいけないから、早く字を覚えなければいけないと思う。母さんと別れて暮らすのはもちろん初めてだし、寂しくないといったらウソになるけど、お寺での新しい生活には、正直ワクワクするものがある。お寺で着せてもらう袈裟は、僕に似合うだろうか。それより、この頭、ツルツルにされてしまうんだろうな。お経だけでなく、本も読めるようになるかな。母さんが、寝る前に読んでくれたビルマの昔話の本。たった一冊しかなくて、もうぼろぼろだったけど、同じ本があるといいな。お寺には、僕のようなお坊さんにならない子供たちも勉強に来るそうだけど、友達になれるかな。

 日が少し高くなってきた。僕の頬にも、ソー・ナインの首筋にも汗が流れる。村長さんは時々振り返りながら、僕たちの前をゆっくりした足取りで歩いていらっしゃる。ソー・ナインの横顔をちらっと見ると、彼も気づいて僕のほうを向き、白い歯を見せて笑った。(完)

なぜミャンマーか

いきなりミャンマーを舞台にした掌編から始まった。
ある写真家の一枚の写真に刺激されて、8年ほど前に書いたものだ。
その人は三井昌志さんといって、アジア各地を巡って「笑顔」と「働く人」をテーマに写真を撮っている写真家である。
たまたま目にした写真の、少女の輝くような笑顔が強烈にまぶたに焼き付いて、珍しく何冊も写真集を購入した。
三井昌志さんの「たびそら」というサイトで、ミャンマーの僧院で、臙脂色の僧衣を着てにっこりと笑う少年の写真に出会ったのもその頃だ。

三井昌志・ミャンマー旅

三井昌志「たびそら」旅行記2013 ミャンマー編より https://www.tabisora.com/report2013.html

この頃から、次はミャンマーに行こうと思うようになった。

ミャンマー行きを決定づけたのは、テレビでミャンマー中部にあるバガン(Bagan)の映像を見たことであった。バガンは今から1000年も昔に都がおかれた場所で、広大な土地に無数のパゴダや寺院が散在している。この映像を見たとき、既視感があった。
このデジャブの細い糸をたどった先にあったのは、一冊の本の表紙だった。

アジア混沌紀行・立松和平

『アジア混沌紀行』立松和平著。
発行は1987年だから、読んだのはかなり前のことになる。面白かったのは覚えているが、具体的な内容はすっかり忘れていた。しかし空から写したバガンの光景の表紙は記憶に残っていた。テレビの映像が、頭の中でこの表紙につながったのだ。
ミャンマーに行きたいという気持ちは、行かなければいけないという気持ちに変わっていった。

バガンは広大な仏教遺跡群の地である。そこはインドネシアのボロブドゥール、カンボジアのアンコール・ワットと並んで、世界三大仏教遺跡の一つである。ボロブドゥールとアンコール・ワットはすでに訪れたので、残るバガンに行かないという選択は、すでになかった。

こうして、運命の糸に導かれるようにして、ミャンマー行きの日が訪れるのであった。



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