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5月の俳句(2024)

皐月

陰暦5月の異名は「皐月さつき」。「皐月こうげつ」ともいうそうだ。この「皐」という文字が気になったので、手元の『漢和中辞典』で調べてみた。「皋」が本字で、「皐」は別体とされている。

「皋」 会意。白ととう(進む意)とで、気が白く立ち上る意。転じて、さわ、借りて、たかい、よぶ意。「皐」は別体。

「皐月」は、「気が白く立ち上る月」ということだろうか。
「皐(皋)」に「沢」という意味があることも知った。

①さわ(沢)。沼沢。水のある低地。「鶴鳴于九皋」(詩経・鶴鳴)
②転じて、水田。
③岸辺。水辺。

最初に『詩経』の用例が出ている。学生時代、『詩経』講読の講義があったのを思い出す。テキストは台湾で発行された『朱熹  集註 詩集傳』だった。久しぶりに書架から本を探し出して用例を探す。




鶴鳴于九皋、聲聞于野。(鶴は九皋に鳴き、声は野に聞こゆ)
鶴鳴于九皋、聲聞于天。(鶴は九皋に鳴き、声は天に聞こゆ)

「鶴」は「賢者」の比喩で、賢者は隠れ住んでいてもその存在は隠しようがなく、名声は広く世間に知れ渡る、という意味である。

若き日の五月の風よ詩集傳


老いたる母

5月1日は母親の誕生日だった。95歳になる。97歳の父親と2人で暮らしている。決して元気とは言えないが、この年まで両親が健在であることに感謝しなければならないと、いつも思う。
実家は車で1時間とかからない所にあるので、月に数回様子をうかがいに行く。

この日、ケーキを持ってお祝いに訪れた。
「誕生日も今年で終わりや。来年はもういてへんで」
毎年聞かされるせりふである。笑って答える。
「きっと来年もまた同じことを言ってるわ」
特に何を話すわけでもない。たわいない会話をして、いっしょにテレビを観て、2~3時間過ごして帰る。
柔らかい雨が車の窓を濡らす。

慈雨降りて母の生まれし日や静か


5月12日は母の日だった。夕食後、会いに行く。途中、近所の花屋に立ち寄る。開いているかどうか心配だったが、幸いまだ営業中だった。カーネーションを入れた小さな花束を作ってもらう。
花を持って車に乗り込むと、雨がポツポツ降り出した。



母の日や花買ひ求む宵の雨


非黄金週間

4月末から5月6日のこどもの日振替休日までの10日間は、世間では「黄金週間ゴールデンウィーク」だった。子どもたちは、このうち3日間は登校するが、残りは休みになる。おまけに塾まで休みだとか。何日かは付き合うしかなさそうだ。

京都の京丹波町に別荘地がある。以前は瑞穂町だったが、市町村合併で、いつの間にか町名が変わっていた。購入したのはかなり前のことだが、その頃の夢はとっくに萎んでしまい、その土地も雑木林のように荒れている。
「国破れて山河あり」の超縮小版、「夢破れて雑木あり」の状態だ。久しぶりに孫たちもいっしょに見に行った。


これが自分の所有地だといっても、今さらなすすべがない。ほかの人たちが購入したであろう土地も似たようなものだ。たぶん、人生最大の失敗の一つだろうな。

別荘の夢や儚き夏木立


翌日、RYUと2人で、オープンしたばかりの「ダムパークいばきた」に行った。茨木市北部にある安威川ダムのそばにある公園だ。車のナビには、この辺りの道路が標示されない。
広場があればテニスをしようと思って用意して行ったが、まだ開設途中でもあり、そんな場所はなかった。日陰も少なく、ひたすら暑い。30分で退散して、いつもの紫金山公園に移動した。



夏空に木陰一つの暑さかな


立夏

5日「こどもの日」。この日は二十四節気の立夏だった。暦の上ではいよいよ夏だ。いや、すでに昼間は25度を超える実質夏日である。
摂津市の大正川の河川敷には、700匹の鯉のぼりが泳いでいるそうだが、今年は見に行かなかった。

ある日、空を見上げると、白い雲がたくさんの鯉のぼりに見えた。



夏空に揺らぐ白雲鯉泳ぐ


夜、花火を打ち上げる音が聞こえてきた。万博記念公園で花火大会が開かれているようだ。そういえば、昼間、万博が正面に見える歩道橋の上に何台ものカメラが設置されていた。マンションの上階からもよく見えるが、あの歩道橋に行ってみようと家を出た。
歩道橋の上にはすでに見物人が集まっていたが、その端のほうで見物する。正面の観覧車付近に光の花が咲き、しばらくして「ドン」と音が伝わってくる。もっと空高く打ち上げてほしいのに、あれでは観覧車の灯りに負けている。それにしても冷える。昼間は暑いぐらいなのに、夜はやはり気温が下がるのだ。半袖の服を着て来たことを後悔する。



襯衣シャツぼたんとめて花火を眺めたり


展覧会

5月は、3つの展覧会を観た。龍谷ミュージアムの春季特別展「文明の十字路・バーミヤン大仏の太陽神と弥勒信仰-ガンダーラから日本へ-」、兵庫県立美術館の「キース・へリング展 アートをストリートへ」、そして奈良国立博物館の「空海 KŪKAI-密教のルーツとマンダラ世界」。
展覧会を観たあとのまとめと感想などを、毎回noteに書いているが、これがけっこう時間がかかる。しかし書きながら知ることもいろいろある。

長谷川櫂に次のような句がある。

億万の春塵しゅんじんとなり大仏おおぼとけ

長谷川櫂『俳句的生活』


我々は、バーミヤンの大仏がタリバーンによって破壊されたことを嘆き憤るばかりだが、長谷川櫂は、「爆破されたバーミヤンの大仏はそれこそ億万の塵となって宇宙の隅々にまで散らばった。その無数の塵の一つ一つがすべてバーミヤンの大仏の姿と心を宿している。決して消滅してしまったのではなく、無数の巨大な塵となって宇宙全体に遍在している。これこそ大仏の本願ではなかったろうか」と言う。

存在するもの、目に見えるものに囚われている自分を振り返る。

夏空に遍くおはせ大仏おおぼとけ




兵庫県立美術館の「キース・へリング展」を観たあと、海の見える南側に出る。安藤忠雄の「青リンゴ」が夏の日差しにまぶしい。青リンゴは青春のシンボルだそうだ。


日本人の「青」という色彩感覚は特殊だと思う。緑のリンゴを「青リンゴ」と呼び、緑の葉を「青葉」という。信号の緑も「青信号」だ。いつかじっくり考えてみたい課題かも・・・。

ふと階段の下を見ると、パラソルをさした女性が海を眺めていた。



夏の日に眩し海辺の美術館

パラソルに吹く海風やヘリング展


5月の空

毎朝7時頃、マンションの中庭に出て空を見る。雨や曇り空の日も多かったけれど、晴れた日の青空は爽やかだ。
5月の中頃、ぐずついた天気が午後遅くに回復し、夕方大きな虹が出た日があった。帰宅途中の娘が教えてくれた。


虹の上下で空の色が違っている。よく見ると、上空にうっすらともう一つ虹がある。ダブルレインボーだ。

束の間の浄土を見たり虹の橋


その2日後の夕方遅く、今度は帰宅した妻が「夕焼けがきれいよ」と教えてくれた。この日のことは、note「夕焼けを追いかけて」にも書いたが、日没後の西の空が燃えるような茜色に染まっていたので、思わず高い場所から見ようと足を速めた。



そして行き着いた道の先が、なんと墓地だったのだ。この地に居住してもう四半世紀になるが、こんな所に大きな墓地があるとは知らなかった。

夕焼けを追いかけて知る墓の道


なお、この日、知り合いがとても美しい夕焼けの写真を送ってくれた。

撮影*Mさん


「5月の空」と見出しに書いたあと、そんな題名の小説があったような・・・と、ふと思った。検索すると確かにある。宮本百合子の作品だ。しかし自分が思い浮かべた小説ではない。宮本百合子の『五月の空』は、若き日の著者が心に浮かぶ詞を綴った何編もの詩だった。短いものだったので、「青空文庫」で読んだ。

それでは、最初に私の記憶の彼方にぼんやりと浮かんだ小説は何だったのか。確か高校の剣道部を舞台にした青春小説だった。剣道をしていた親友がいたので、その本を読んだ当時、重ね合わせた記憶がある。
しばらくして、やっとその本にたどり着くことができた。高橋三千綱の『九月の空』だった。月が違う! 記憶っていいかげんだね。

もう一度「5月の空」に戻ろう。爽やかな、しかし空から降りそそぐ太陽の光に夏を感じる一日、大阪市内の公園を通った。クスノキの影がくっきりと地面を縁取る。緑色のユニフォームを着た小学生たちが、集まってトレーニングをしていた。上級生が下級生に声をかけている。みんな元気だ。かすかに流れる風が気持ちいい。



新緑の野球少年かげひなた

新緑の野球小僧よ風渡る




「5月の俳句」、何とか書き上げました。毎回、青息吐息です。月末が近づくと、数日前から書き始めますが、メモが不十分だったり、写真を撮り忘れていたりと、後になってからしまったと思うことが多くて、どうにか続いているのが不思議なくらいです。俳句もいっこうに上達しませんが、俳句の難しさだけは十分に分かった気がします。
さて明日から6月。明日は小学生の孫たちの運動会があります。晴れたらいいね。



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