見出し画像

姉:資本主義に敬礼することなく恋愛をする難しさ

妹は恋愛経験の少なさで社会的弱者になることを大変恐れているらしい。そんなことないよって言いたいが、ひょっとしたらそんなこともあるかもしれないなとも思うので、pairs頑張って欲しいなと思いました。

一方姉は割と久しぶりに完全に彼氏がいない時期である(完全に!)。こないだふと考えてみたら、大学で取ってた授業の半分以上を彼氏と2人で受けてきたかもしれないことに気付いて、春学期からどうする気かな?と思った。多分どうもしない。
恐るべきリア充!


最近私は人生が楽しい。毎日のようにバイトして毎日のように友達と遊んで妹と毎日夜中まで喋り倒してから寝る。(※就活生です)授業も部活もないのでストレスもない。しかも彼氏がいない。この彼氏がいないっていうのが、私の自由の幅を物理的にも心理的にもかなり広げた要因だと思う。
ということで何故彼氏がいると不自由な気持ちになるのかを考えてみました。

1.スケジュールが埋めにくい

まず彼氏は彼氏なので、一定の頻度で会いたいし会わないといけない。なので彼氏がいるときは特に約束がなくても「この日は誘われる可能性があるな」くらいの憶測でバイトのシフトの提出をやめといたり、「今日電話かかってくるかもしれないから先にやることやっとこう」とかいってかかってくるかもわからない電話に備えて日常のルーティーン組み替えて生活していた。
しかしながらこんな常に恋愛中心のスケジュールを組むのは、結構無理がある。無理があるのでイラつく。心に余裕がなくなる。よって、不自由を感じる。


2.プレゼントとかデートの行き先とか考えるのが難しい

そもそも私は高額なプレゼントとかあんまり欲しくないタイプである。いや貰ったら嬉しいが、別になくてもいい。高いと返すの大変だし。デートで何処に行きたいとかもあんまり思いつかない。というか私は友達だろうと彼氏だろうとカフェで6時間おしゃべりして帰るみたいなことがしたいのだが、そんなことをやってくれる男の人がいないのはよくわかっているので、出せる要望がない。
しかしデートも誕生日もクリスマスもバレンタインも望む望まざるに関わらず全ての恋人たちに等しく訪れるので、その度に「何をあげるか」「何を食べるか」「何処に行くか」「泊まるか」でいちいち悩むことになった。

なので付き合うということは
①相手の恋愛イベントへのやる気
②相手の金銭感覚
③相手の求めていること(6時間喋りたいのかどうかとか)
をいちいち鑑みて、相手の感覚と自分の感覚を寄せて行く作業なのだと思う。

しかしながら私は大抵途中で寄せることに疲れる。疲れてイラつく。心に余裕がなくなる。よって、不自由を感じる。


3.中途半端にフェミニスト

端的に言って、私は女の子扱いされるのがあまり好きではないのだと最近気付いた。厳密に言うと、女子校を出て共学に入り男の子から女の子扱いされることに大学入学以降結構ハマっていたが、最近飽きてしまった。なのであんまり無闇に女の子扱いされると、ちょっとイラつく。心に余裕がなくなる。よって、不自由を感じる。


以上の3点から解放された私は、今本当に偉大なる自由を謳歌しています。恋愛経験を積んでよくわかったことなのですが、現代の大量消費社会というのは異性愛恋愛と資本主義を強烈に結びつけてきますね。バレンタインだのクリスマスだのディズニーだの、恋人が踏まなきゃいけない通過儀礼多過ぎると思いますよ。資本主義社会では「恋愛市場」が確実に大きな位置を占めてますね。事前に用意された「良い彼女」「良い彼氏」の役割に沿って「良い恋人」が踏むステップを回収していくと「ステキな夫婦」に昇格&資本主義国家大繁栄ってことなのかな?考え過ぎ?まあ本当愛情表現ごときに何故資本主義への敬礼が必要なのか。マジで謎。

※ちなみにバレンタインもクリスマスも強要されない限りは楽しいので大好きです


一応補足しておくと私が不自由を感じていたのは彼氏たちが悪かったのではなく、私自身が資本主義のレールの上にのった現代社会の恋愛スタイルが超絶苦手だった&それに気付かず適応しようとして失敗してイラっとして暴走したからなので、この3点で苦しんだことについては(限定の格助詞)私が個人的に抱える個人的な問題です。別に問題でもないが。


でも同じような思いを抱えてる人って、実は沢山いる気がする。好きな人ができたら付き合いたいなーとは思うけど、この資本主義恋愛スタイルは無理って人多分いるよね?
まあもしかしたらみんなだるいなって思ってるけど色々折り合いつけてやってるってだけなのかもしれないですね。(大人だね)


#姉妹
#恋愛
#資本主義
#異性愛