見出し画像

蝶楽天の軌跡を追う[8]

さて、兄の足跡をネットで追いかけている中で、千葉にある実家には、そこを倉庫にしていた兄の出版したクワガタ図鑑や昆虫展示会向けに作成した珍しい図譜などが大量に保管されていた。フルカラーで作られた図鑑は兄からのプレゼントとして昆虫に興味をもつ子供たちに出来るだけ届けたいのである。少し重いしっかりした図鑑は1.3kgもあり、同じもので並装の図鑑でも900g程度はありそうだ。厚みもあってメルカリが日本郵便と組んでやっているゆうパケットというサービスが最安値で送れるようで個人情報もいただかなくても配送できるのも素晴らしい。
とはいえ個々に対応していくのでは本当に日が暮れてしまうのも事実だ。手元にあればワンコイン以下で頒布することもできる。キャリーを持って行ってもあっというまに20kほどの重さとなり、帰り道の京葉線東京駅からの帰りのルートを思うと頭が痛い。とりあえず想定した交通費と持ち帰れる範囲での冊数と現地からの発送などとを掛け合わせて、図鑑の氷山一角というよりも埃落として程度のものを送ることが出来た。
とはいえ、兄の事務所に残されたものはその比ではないようで、多彩な標本や資料、研究用に使われてきた図鑑など残されていた。昆虫界においては著名な札幌の古書店が訪れてきたうえで一式引き取っていただけたらしい。
兄が書き遺した原稿などについては西国分寺から適切な形で保管するように移動したいとパートナーの方も含めて話している次第だ。
タイトルにある蝶と生きるは、独文学者の岡田朝雄さんが訳されたフリードリヒ・シュナックさんが著した「蝶の不思議の国で」の紹介記事で、図書新聞という業界向けの新聞に投稿したものだ。兄のパートナーによれば、岡田さんは飲んべの虫仲間として懇意にされていたらしい。兄の交友範囲はとても広かったようで、どんな人とでも仲良くできる「人たらし」の個性はずば抜けていたようだ。以前紹介した「ちゃっきりむし」の記事でも自身で書いている。この紹介記事の中では蝶をおいかけている者の気持ちを共感できる世界として博物誌を捉えていて教養豊かで純粋な蝶を愛でる世界観と研究探求眼を持ち合わせた人物への誘いかけであるようだ。
兄やその仲間たちは、その世界観を共有しながら個々の愛する昆虫たちについての物語を博物誌として語り合い記録として著述された世界各地の同様なる博物誌を語る先達の思いを読み、思いのたけとして翻訳してまた仲間たちと交す酒や食事での語らいが彼らを繋いでいるように感じた。
意味のない争いごとに明け暮れている人類社会から離れて昆虫たちの世界を観察して、そうした事の記録からも先達たちの目線を文章からタイムトラベルして見出しているということなのだろう。兄の仲間の多くの人たちが、素敵な人生を送られているように感じるのは、個々の方が人生をまずどのように生きるのかを決めていて必要に応じてその為の所作として生活をしているように見えるからかもしれない。兄も、詩人の白楽天のようにいきたいと言っていた。
兄もファーブルやシュナックのような博物誌として書いてみたかったのかもしれないが、TSUISOとして昆虫界での週刊誌を発行しつづけた。この冊子を場として色々な方が発表もしてきたし、共感して参加して更に分化して虫人として独立して各人の世界で標本商や冊子をだしている。このTSUISOというアーカイブを編集するだけでも立派な博物誌にもなるだろうし、晩年までも兄の元を訪ねてくる小学生の虫人予科練の仲間もいたようだ。それは、TSUISOの時代を通じて起きていたことと考えられ、過去の虫界紳士録として発行された読者リストの中にも可愛らしい少年少女が好きな昆虫や採集記録などを自己紹介であげていた。こうした少年少女に刺激を与えて、今の日本での昆虫界を維持発展させることに繋がっていると思う。兄の逝去の報は、昆虫界の中で日本では目くるめくスピードで広がり、俗世間からは超越した形での暮らしを尊重して希望に沿うよう散骨に向けて虚礼を廃して限られた姉弟従弟で集うことにした。限れた時間の間、兄は斎場近くの葬儀屋にて虫仲間たちの弔問を受けるという形にした。兄らしい仕舞い方だったと思う。
今、兄が遺した図鑑は、初めて図鑑の記事を通して兄と会話している子供たちが家族との会話で昆虫たちの世界観を共有することに繋がっている。配布は大変なのだが、できるだけそうした実際の子供たちに届けることが一番だと思っている。当初は図書館に寄贈すればと思ったりもしていたが、それは図書館にとっても厄介者を押し付けられたような形に捉えられるようだ。何よりも欲しいと思ってもらえる人に届ける事が大事だ。少しずつ配布して兄の図鑑を目にした人たちが紹介してくれて広がりを見せてくれたらよいと考えて配布を続けている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?