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廃校が食品工場に生まれ変わろうとしている

4月の種まき、肥料散布、耕耘、代かきと田植えに向けた準備が終わると、5月は、田植えが始まります。

大潟村の桜は、4月15日から18日頃が満開で、菜の花と桜の花が続く全長10kmの道路は、花見客でいっぱいになります。
道路の両側に駐車している車のかげから飛び出してくる人に注意をしながら、毎日、圃場の行き帰りに車の中から花見をします。

また、4月13日、八郎潟町から大潟村に入る大潟橋のたもとで、今年最初の2頭の熊が発見されたとのことですが、コロンブスが海を渡り、新大陸を発見したように、熊も隣町の山から、八郎湖を渡り、大潟村という新大陸を発見したと考えたかもしれません。
大潟村は南北27km、東西14km、周囲54kmと、東京の山手線を囲むくらいの広い大地ですが、その多くが水田のため、熊が隠れる林はほとんどありません。熊は狭い林の中を隠れながら、餌を探しているようですが、早く大潟村を横切り、隣町の男鹿市に逃げないと、捕獲されてしまいます。
昨年、仲間の農家が撮影したスマホを見せてもらったら、子熊ではなく、とても大きな熊が農道を走っている動画が撮影されておりました。
また、同じ場所に日本鹿が2頭いる動画も見せてもらいましたが、大潟村もいよいよ野生の王国になったのかと、とても驚きました。
昨年は、大潟村の圃場や農道で熊が目撃されたばかりでなく、住宅地にまで現れ、大潟村の住民も皆、不安になっておりましたが、今年は更に多くの熊が現れるようになると、1人で畔の草刈りもできなくなります。

昨年から2つ目の無菌米飯工場を建設したいと考えておりましたが、隣の男鹿市の廃校を活用することで、国と男鹿市や銀行の協力を得て、男鹿市の誘致企業として新たに無菌米飯会社を新設することになりました。
農業者人口の減少は、地域の人口減少に繋がり、地域の人口減少は、地域の廃校に繋がっておりますが、農業振興と廃校活用を一体化することで、新たな地域開発のモデルが構築できるのではと期待しております。
来年春の稼働を目指しておりますが、その時には私も76歳になっているので、周りの人から見たら、後期高齢者になったのに何を考えているのかと呆れられているかもしれません。
20代は力がなくても、若さを武器として仕事をやり、40代になったら知恵で仕事をやり、60代になったら信用で仕事をやり、70代になったら「魂」で仕事をやることができるのではと考えております。

共同通信社が、全国の地方紙に配信するシリーズ「生き抜く」が掲載されました。
シリーズの主旨としては、社会の変化に対応しながら自分の人生を生き抜いている人を取材し、週1回、紹介しているとのことでした。
私は、冬には6mもの積雪になる新潟県十日町に生まれ、18歳で農業に取り組むことを決めた時から、「若者が夢と希望を持てる農業を創造する」ことを人生の目標にし、今日まで来ました。
今回のタイトルの「生き抜く」は、私の人生そのものを象徴しているのではと、自分のことながら驚いています。

農業者が2つ目の無菌米飯工場を建設するということは、普通ではできませんでしたが、協会創立以来、38年間、お客様のご支援があったからこそと深く感謝しております。

令和6年5月
大潟村あきたこまち生産者協会
涌井 徹

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