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こまち通信 8月号

全国的な大雨洪水のニュースを聞く度、自然環境の脅威を改めて実感しているところですが、大潟村でも、7月9日から10日間も雨が続き、玉ねぎ収穫にとても苦労しました。
何とか無事に収穫することができ、ほっとしております。

稲は少しくらい雨が降っても、元気に生長しますが、雨が降るということは太陽が出ないということなので、2週間も太陽が出ないと、さすがに稲の健康にも悪く、病気になりやすくなるのではと、心配しております。

今年は雨が多いので、畔の雑草の伸びが早く、草刈りに追われております。

雨が降っても、晴れても、1日1回の田んぼ回りを続けておりますが、田んぼ回りでは、キツネ、ウサギ、キジの親子連れ等、多くの野生動物と会います。
キツネは、車が近づくまでじっと車の方を見ておりますが、ウサギは、車の気配を感じると急いで草むらに逃げ込みます。キジは、車が近づくまで道路の真ん中で遊んでおり、轢かれる直前に四方八方に散って行きます。

田んぼは、東西南北8ヶ所にあるため、車を止めないで1周しても1時間半かかり、車を止めて稲の状況を見ていると2時間以上かかります。
毎日見ても稲の生長は変わりませんが、それでも10日経ち、20日経つと、植えた時は水しか見えず、寂しかった田んぼも稲で一杯になり、田んぼの水が見えなくなります。

田んぼには様々な鳥がおり、代表的なのがアオサギとシラサギです。
稲が小さかった時は、アオサギもシラサギも、田んぼの中でカエルやザリガニを食べておりましたが、稲が大きくなり、カエルもザリガニも見えなくなると、畔の上でカエルやザリガニが出てくるのを待っております。
アオサギもシラサギも、自然環境の変化に合わせて餌を捕まえる場所を変えており、私達も環境の変化に合わせて生き方を変えていかなければならないことを教えられます。

「時代を語る」をご覧頂いた皆様から、たくさんご感想を頂いており、初めて協会のお米を食べた時から今日までの、その時々の思い出話や励ましのお言葉等を頂いております。
自分の子どもが初めて食べた離乳食が協会のお米で作ったおかゆであり、その子供が結婚して孫に初めて食べさせた離乳食も協会のお米で作ったおかゆであるとのお話を頂きました。

お米だからこそ、20年、30年と、長い間、食べて頂けるのだと考えると、日本人にとって、お米は特別なものだなと、改めて実感しております。

若い時に見た田んぼの風景と年をとってから見る田んぼの風景は、同じようには見えますが、確実に何かが変わってきているのではないでしょうか。
何がどのように変わっているのか、はっきりとはわかりませんが、日々、田んぼを回ることで、少しずつですが、何かが変わっているように感じております。

大潟村へ入植する前は、田植えは手で植え、耕耘、代掻きは牛や馬で行い、稲刈りは手で刈り、乾燥はハザ木にかけて行いましたが、大潟村に入植してからは、田植えは田植え機になり、耕耘、代掻きはトラクターになり、稲刈りはコンバインになり、乾燥は乾燥機になりました。
これから、農業者人口の減少に対応するため、田植え機は直播きになり、トラクターやコンバインは無人運転になり、営農指導はAIが行う時代が来るのではないでしょうか。

1人の農業者として、手植えから田植え機、そして直播き時代へ、牛馬から有人トラクター、そして無人トラクター時代へ、手刈りから有人コンバイン、そして無人コンバイン時代へと経験できた農業人生は、楽しいものではないかと考える今日この頃です。

夏本番ですので、お身体にはお気を付け頂きたく存じます。

令和5年8月
大潟村あきたこまち生産者協会
涌井 徹

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