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出稼ぎに行かない農業への挑戦から55年

4月になると、種播き、育苗、肥料まき、耕耘と、1年で一番忙しい春作業が始まります。

今年の冬は雪が少なく、山間部では田植え時の水が不足するのではと今から心配されておりますが、大潟村は海抜マイナス4mの干拓地のため、入植以来、水不足はありませんでした。
水不足はありませんでしたが、干拓地のため地下水位が高く、営農にはとても苦労しております。

大潟村は、今年で誕生60周年になりますが、大潟村が誕生した時、私は中学3年生で、それから6年後に大潟村に入植しました。
私が生まれるのが1年遅かったら、年齢が足りないため大潟村に入植することはできなかったので、私にとっては人生を決める1年になりました。

私の生まれた新潟県十日町は、冬の積雪が6mにもなる豪雪地帯で、冬は出稼ぎが当たり前でしたが、出稼ぎにいかない農業はどうしたらつくれるかというのが私のテーマでした。
冬、出稼ぎに行く農業から、出稼ぎに行かない農業は、どのようにしたらできるのかと考えた私の答えが、大潟村入植でした。
出稼ぎに行かず、大きな圃場で米を作りたいというのが私の願いでしたが、大潟村入植と同時に減反政策が始まったことで、私の農業人生は大きく変わることになりました。

人生は計画通りにいかないものですが、計画通りにいかなかった時に、どのような対応をするかで、その人の人生が決まるのではないかと、今更ながら考えております。
私の人生は失敗の連続でしたが、その失敗の中でも何かを探し求めてきたことで、今の私があると考えております。

大潟村が誕生して60年、入植して55年経つと、農業者の多くは入植二世の時代になり、中には三世の方が中心の農家も現れてきました。
入植一世の方たちは、お互い顔も名前もわかりますが、二世の方になると半分くらいわかるものの、三世になると全くわかりません。
先日、数人の三世の方たちと話しましたが、私たちの時代と違って減反政策もなく、あまりにも順調すぎて、これから荒波を乗り切っていけるのかと心配になりますが、若い人は若いなりに、新たな道を拓いていくのではないかと期待しております。

2月末に雪が降り、3月は雨の日が多く、今年の夏の天候はどうなるのか、今から心配しておりますが、どんなに雨が降っても、春作業は計画通りに進めないと、種播きに間に合わなくなります。
種播きに向けて、10日間ほど種籾を水に浸し、発芽するための水を吸収させ、種播き前に2日ほど水温を上げると種籾がハト胸状態になり、その後、芽が出てくると種を播いてもよいという合図になります。

育苗ハウスのビニール張りは、風のない日を選んで行いますが、何十年もやっているため、とても上手くなりました。

種を播いた苗箱をハウスに並べたら、発芽を揃えるため苗箱にシルバーシートをかけますが、1週間後には、苗箱一面に小さな芽がびっしりと生え揃います。
苗箱のシルバーシートを取り除いた時から、「種籾」ではなく「苗」になります。そこからは、ハウス内の換気と苗の水かけが重要になりますが、育苗中にハウスの換気を忘れると、すぐに苗は暑さで全滅してしまいます。

種を播くと、すぐに畦を直したり、排水作業を行ったりと、耕耘がスムーズにいくように準備を始めます。

大潟村に入植して55年、毎年同じ作業をしますが、何十年経っても1年生です。
令和6年の米作りが始まりましたので、今秋もおいしい新米をお届けできるよう頑張ります。

令和6年4月
大潟村あきたこまち生産者協会
涌井 徹

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