東北の玉ねぎ産地化のため人生をかけた大仕事「原生林の開墾」に再び挑む
毎日、朝5時頃から圃場回りをしておりますが、まだ車が通らない農道には、スズメより大きくなったキジの子供達が、右や左にと歩き回っており、1kmほど離れた場所には、キツネの親子連れが遊んでおります。
稲丈の伸びた圃場の中では、アオサギ、シラサギ等、足の長い鳥たちが蛙を探して、息をひそめながら歩き回っております。
私はまだ見たことがないのですが、大潟村でも熊や日本鹿の目撃情報がたくさんあるようです。
大潟村に入植して55年、毎年、同じ時期に同じ光景を見ますが、農業情勢は大きく変わっても、自然界の動物の営みは何も変わらないように見えます。
玉ねぎ栽培に取り組み7年目になりますが、今年は玉ねぎの連作障害で大きな被害が発生しました。
専門家に相談すると、今年は同じ場所で玉ねぎ栽培を行わない方が良いのではとのお話がありましたので、新しい畑で玉ねぎ栽培を行うことにしました。
大潟村には、干拓以来、手付かずの原生林がありますが、現在の玉ねぎ畑も、7年前、秋田県より20haの原生林を借り入れ、1年かけて開墾し、6年前より玉ねぎを植えております。
玉ねぎは、長期間栽培すると連作障害があることは指摘されておりましたが、新たに20haの畑を探すことができないまま、6年間、栽培を続けることになりました。
5年目は良かったのですが、6年目の今年、大きな被害が発生したので、新たな場所に移動する覚悟を致しました。
そのため、現在の玉ねぎ畑の隣に40haの原生林があるので、それを借り入れ、3~4年かけて開墾し、玉ねぎを植えることにしました。
今年、どれだけの面積を植えられるかはわかりませんが、干拓以来、60年間(今年は開村60周年)手付かずだった原生林の開墾に取り組んでおります。
私は9月で76歳になりますが、これから40haの原生林を開墾し、玉ねぎを植えられる畑を造るといっても、3~4年かかり、造成が終わった頃には80歳になります。
それまで、元気で対応できるのか、完成前に倒れてしまうのかわかりませんが、元気でいる限りは頑張りたいと考えております。
家族や周りの仲間達からは、76歳にもなって何を考えているのかと笑われるだけでなく、あきれられているかと思いますが、一度取り組んだ東北の玉ねぎ産地化の取り組みを途中で投げ出すことは、自分の人生を投げ出すのと同じことになると考えております。
76歳にして、2つ目のパックライス工場建設に取り組み、来年の稼働に向けて準備を進めておりますが、新たに40haの原生林を開墾し、玉ねぎ栽培をするための畑を造るということは、人生をかけた仕事になります。
後期高齢者になったにもかかわらず、身の程知らずの大きな仕事に取り組んでおりますが、この仕事は、私に与えられた使命ではないかと考えております。
令和6年8月
大潟村あきたこまち生産者協会
涌井 徹