まるで夢の中にいるみたいだ
と思ったことはありますか?
私は、これまでの人生で4回あります(結構ありますね笑)。
1. 大学(受験)
1回目が大学に通っていた時のこと。
人生には人に大きく影響を与える時期がいくつかあると思いますが、私の場合紛れもなく初めてのターニングポイントが「大学(受験)」でした。
受験に関しては、とにかく必死で、孤独だった記憶があります。
ただ、それまでの人生で初めて「やれるだけやった」と胸を張れる努力が実を結んだ経験は、当時の私に大きな自信を与えてくれました。
思い返せば中学生の頃から「早く大学に行きたい」と思っていて、大学という場所に強い憧れを持っていました。
実際、私にとって大学は期待以上の場所でした。周りの目を気にせず勉強できて「したければ好きなだけどうぞ」と環境が整備されているって最高だな、と。
5年間(留学で1年卒業を延期)校門をくぐるたびに、授業を受けるたびに、「夢みたいだ」と心の中で感じていたことをまだ覚えています。
2. ドイツ留学
2回目は、6年前のドイツ留学中、南フランスに旅行に行った際に美しい地中海を見たときのこと。
中学生の頃から漠然と抱いていた夢「海外留学に行きたい」
金銭関連で自分の中で諦めの気持ちがずっとあり「きっとこれは夢のままで終わるんだろうな(留学には行けないんだろうな)」と思っていたのですが、今まさにその夢の中にいて、これは夢ではなくて現実なんだと強く感じました。
これまでの色々な過程を「よくがんばったね」と肯定してもらえているような、そんな気分になったのを覚えています。
今は仕事にできているドイツ語も、当時は中級レベル。ぐんと伸びるきっかけになったのがこの旅行でした。
「間違えるのが恥ずかしい」という完璧主義のプライドが、波とともに流れていってくれたような気がします。(当時は、日本語が話せるドイツ人の友だちに日本語ばかり使うものなので「何でドイツにいてドイツ語を勉強しているのにドイツ語を話さないの?」と若干呆れられるような感じでした)
3. 岡山へ移住
そして3回目が、去年から住んでいる岡山での穏やかな毎日。
大学を卒業後3年半住んだ東京を離れ、縁もゆかりもない岡山県に引っ越しました。
どうして岡山?とよく聞かれますが、答えるのが本当に難しいです。なぜなら理由は「何となく」だから。
でも本当に何となくずっと岡山に惹かれていて、大学生の頃から「いつか岡山に住みたい」と言っていました。
夢だった瀬戸内海が身近にある暮らし。
海が大好きな私にとって、こんなに幸せなことはありません。
友だちも知り合いもいないし、電車は1時間に1本。車はないので(地元の方にはかなりびっくりされます)自転車移動。
不便な点も色々ありますが、今のところそれも全部含めて楽しく、かつてないほど穏やかに暮らせています。幸せです。
とはいえ大学を卒業してすぐに上京し、何だかんだ3年半暮らした東京での日々も、私にとって絶対に忘れることのない濃い時間です。
小さなアパートでとにかく仕事に明け暮れていた日々。
目の前のことに精一杯、嬉しいこともたくさんありましたがそれ以上に大変なことだらけで「夢みたいだ」と思うことはありませんでした。
が、あの日々のおかげで今があると胸を張って言えます。
環境は人に大きな影響を与えると私は実体験として強く感じていて、あれだけ仕事に一生懸命になれたのは「東京」のおかげだったのかもなと、よく思い返します。
4. ドイツでの暮らし
そして4回目が今、現在進行形です。
約1ヶ月前からアパートを借りて、北ドイツ・ブレーメンで暮らしています。
ドイツ滞在自体は今回で5度目です。
「夏はドイツ、冬は日本に住む生活をしたい」と前からよく言っていたのですが、実現したのが嬉しいです(といっても夏に帰るので、日本の夏の暑さからは結局逃れられないのですが…)。
なぜブレーメンかというのも理由が特になく、「何となく」以上でも以下でもないのが正直なところです。
でも、何となくブレーメンに惹かれていていつか住みたいと思っていたのもまた事実です。
旅行ではなく「暮らしたい」と思っていた私にとって、いつものルーティンがある海外生活は6年前の留学ぶりで、とても貴重です。
平日は日本にいるとき同様仕事をして、趣味のフランス語勉強もします。でも一歩外に出ると当たり前ですがそこは「ドイツ」で、慣れない食材でご飯を考えたり、アイス屋さんに立ち寄ったり、近くの大きな公園を散歩したりします。休みの日には近くの街へ出かけたり。
Vollmond(経営しているオンラインドイツ語教室)のドイツ在住の先生や生徒さん、普段はオンライン上でしか連絡を取れない友だちに対面で出会い「初めまして」もしくは「久しぶり」と会話に花が咲きます。
何もかも夢みたいだ、と感じます。
でも、「夢」じゃないんですよね。
全て私が自分自身で選択し努力し歩んできた道であることに、もっと自覚的であってもいいのかなと最近よく考えています。
特にここ2年ほど、事業が少し安定し、長期的に物事を考えたり立ち止まってこれまでを振り返る余裕ができました。
22歳で創業した、当時は両手で数えられるほどの受講生と講師しかいなかった小さなドイツ語教室は、気付けば毎月400名以上の受講生がいて、60名以上の講師が集まっていました。
無名だったサービスが、「ドイツ語」の世界ではかなり多くの人に知ってもらえるようになりました。
この成長を評価してもらえることも増えました。
事業の安定と同時に、プライベートの優先順位が少し高くなりました。
結果、岡山移住・通算2回の渡独が実現しました。
と同時に、仕事もプライベートも順調な状態に慣れず「うまくいきすぎているんじゃないか、ただ運が良かっただけなんじゃないか」と思うことが増えました。
ただ最近、そうやって現時点に至るまでのプロセスを「運」という一言で片付けてしまうのは、自分に対して失礼だと思い直すようになりました。
きっかけはある2人との会話です。
1人目はある尊敬している先輩。
「今の私の恵まれている状態は、大部分は運の強さという先天的なもののおかげなのかなと考えたりするんです」と言うと、「結果だけ見るとそう思うかもしれないけれど、全てあなたが自分で少しずつ積み重ねてきたことの結果に過ぎないと思うよ」と返事がきました。
もう1人は仲のいいドイツ人の友だち。
「ドイツ人は自分が1番=自分を大事にする人が多いけど(それ故のトラブル等もあるけれど)、日本人は自分を過小評価している人が多いように感じるから、もっと自分にフォーカスを当てる人が増えてもいいのかもね」というような話になりました。
結果だけを見るととても順調な今だけれど(見えてないだけでまだまだ課題ばかりではありますが)、Vollmondを立ち上げる前は2年ほど全く実らずな時期があったこと、新卒で就職をせず当時月収一桁台の自営業に専念することを決めた時の胃の痛み、常に体力とメンタルがギリギリの状態で「きっと一生このまましんどい状態なんだ」と思っていた時期のこと、noteを書く余裕なんてなく休めなくて泣きながら仕事をしていた日々のこと、人を初めて雇う決断をした時のプレッシャー、会社設立時の出資額を振り込んだ時の後戻りはできない感(人生で1番高い支出)。
数えきれないほど大変なことがあって、一つ一つ「私も分からない」と思いながらも悩み抜いて決断をして、責任感に押しつぶされそうになりながら、決めたことを正解にするためにがんばる日々。
そんなこれまでの努力を1番分かっている当事者の私が、今日に至るまでの過程を「運」の一言で片付けるのは残念だし、過去の私にも失礼だなと思うようになりました。
同時に「これから何かにチャレンジしよう!」と意気込んでいる人の可能性に蓋をしてしまいかねない考えでもあるな、と。
努力は直接結果に反映されないことも多々あるし、「がんばったから今がある」と言うのは傲慢なのかなと思う気持ちも正直まだ全然あります。
が、私が好きなドイツ語 Das hast du dir verdient.(それはあなた自身ががんばって得た成果だよ)が表すように、現時点では Das habe ich mir verdient.「これは私ががんばって得た成果だ」そんな風に考えてもいいのかなと思う今日この頃の話でした。
P.S. 約3年ぶりにnoteを書くの、とても緊張して時間もかかりましたが書き終えることができてよかったです◎
残りのドイツでの時間も楽しみます。(ドイツでお会いできそうなVollmondの先生や生徒さん、日本⇔ドイツに関連する活動やお仕事をされている方、気軽にご連絡ください♩)
ドイツ語を勉強したい方、いつでもVollmondでお待ちしています!
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