レッスン3.ユニクロの服で「丁寧な生活」は掴めると、私は信じることにした

前回の更新から一ヶ月以上開きましたが、めげずに書き込みに来ました。一ヶ月もあったのに、どういうキャラでnoteを書いていこうか方向性がこれっぽっちも決まっていません。ごきげんよう。

さて、今日は素敵な人を目指す上では避けて通れなさそうな「丁寧な生活」について、だらだら書き連ねようと思います。

「丁寧な生活」。一度はそのフレーズを耳にし、憧れ、日々努力してる人も多いでしょう。部屋には植物を欠かさず、週に数回はお手製のお弁当を作り、少し値は張るけれど質の良いお洋服を着て、美容にも気を使い、いつも心が穏やかで満ち足りている人、あなたのタイムラインや職場、学校にもいますよね? すごくないですかあれ。いくら良いところしか見せていないにしても、きらっきらじゃないですか。女神さまか何かなんでしょうか。

ああした暮らしを送る方々、強く憧れるんですが、精神が弱っているときには非常に危険な存在です。だって落ち込んでいるときにあんなの見たら「あ、こんなん私には無理っす……ありがとうございました……」ってそっ閉じしたい気持ち、羨ましさや嫉妬、湧いてきません? それでなおさら自己嫌悪して無限ループしません? するよね? え、私はするよ? だって、あんなお金と時間のかかること、できっこないもん。

生活の丁寧さは経済的なゆとりで決まるのではない、心の持ち様だ。言い訳するな、頑張る気持ちが足りないだけだ、という指摘も正しいでしょう。けれど、やっぱり時間やお金に余裕がないと、部屋に緑を欠かさない生活は続けられません。花の美しさを自宅で愛でようとしても、50円100円の節約を強いられるお財布事情では、お金がちらついてゆっくり心を落ち着かせることもできない。デパートの化粧品を奮発して買ったとしても、けちけち使ってしまいそうです。

「丁寧な暮らし」を発信する人の中には、丁寧な生活を送るためにはお金が必要ということを理解してもらえなさそうな人が、一定数いるような気がするのです。あるいは、丁寧に生きたくても生きていけていない人は、頑張る気持ちが足りないだけ、怠惰な人なのだと、心のどこかで哀れむ人。

なんかもう、そういうの見るとほんっと腹立つんですよ。なんなの! ぷんすか! ……文句を言いたくて書き始めたんではありませんでした。失礼。

ここ数日、「将来『丁寧な暮らし』をしたいけれど、今はお金や時間のゆとりが無い人は、お金を貯める以外に何をしたらいいんだろう」と考えていました。丁寧な暮らしの自分なりの定義と、今すべきことは何かを見つけました。

丁寧な暮らしとは、「物や自分の適切な扱い方を知り、その振る舞いが無意識化されている状態」。そこに近づくために必要なのは「習慣付け」ではないかと思うのです。

緑を買えなくても、もしそこに植物が飾ってあったら絵になるように、部屋を整頓する習慣を付ける。なぜなら部屋は、大切な自分がリラックスするための大切な空間だから。細かい家計簿は付けられなくても、食材を買ったときのレシートだけは手帳に貼って、出費が分かるようにする。なぜなら食費を適正化すれば、その分貯蓄に回し、大事な人生の局面でえいやっと思い切った決断をすることが出来るから。

「習慣」と「頑張る気持ち」は似ているようで違います。「頑張る」って瞬発力みたいなものだから、長くは続かない。でも「習慣」は、生活に組み込まれて無意識に行われるから、少ない労力でこなせてしまう。習慣化するまでは頑張らなくちゃいけないかもしれないけれど、それが身になったらこっちのもの。あとは放っておいてもなんとかなんじゃないかしら。

お金も時間も根気も無い、貯金はちょっと増えて2万円、毎日着るのはユニクロの服、というのが正直な現状です。でも、この服をネットに入れて洗い、干して、アイロンをかけて、皺のないパリッとした服に袖を通す。これが習慣化したら、理想の「丁寧な生活」に一歩近づくはず。そう私は信じることにしました。


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