レッスン1.先延ばし女との決別
「これあんただわ」
中学の頃、道徳の教科書に載っていた『ぱなしの女王』という話を読んで、
母はそう言った。
話の詳細は思い出せないけれど、確か、出したものを元の場所に戻さないとか、脱いだ制服をハンガーにかけないとか、そういう「やりっぱなし」常習犯の女の子の話だった。
「へへ~そうかもしれな~い」
特に「始めっぱなし」が酷かった。勢いに乗ってやり始めたものが長続きしない、三日坊主とはまさにわたくし。そんな自覚は多少なりともあった。でも、そのうち直ると思っていた。
いかにも中学生らしい呑気な返しをしてから早10年。2017年7月2日、私は本棚を見て愕然としたのだ。
「学びのノート」と表紙に書かれたそれは、一日一個、新しく知った知識をメモすることでより良い自分になろうと、今年5月に一念発起して作ったものだ。表紙をめくってみる。白い。まっしろ。なんにも書かれていない。
つまり。10年以上経ったのに、私はまだ「三日坊主」の「ぱなしの女王」なわけだ。いや、これで三日坊主とか言ったら世の三日坊主たちの顰蹙を買う。だって一文字すら書いてなかったんだもの。
中学生だったら可愛げもあるが、今やもう20代中盤。これじゃあただのだらしない先延ばし女じゃないか。
このままでは、「100万円貯める」「歯の矯正をする」なんてささやかな夢は、どんどん遠ざかっていくだけな気がする。
「良いと思ったものを広める仕事をする」「誰かの毎日にちょっぴり幸せを増やす」「素敵な女性になる」みたいな夢は、遠ざかるどころか最初から無かったことになりそうな気配すらある。
人の心を受け止め自分の言いたいことも言える知性と精神的ゆとりがあって、優しくて、美しくて、夢もかなえて、そういう欲張った人生を歩みたいなら、御託を並べる前にやるべきなのは、先延ばし女を捨て、新たな自分になるという決意と、それを持続させるための習慣づけなのではないか。
そう考え、今日からノートを始めることにしました。「先延ばし女」がレディになるまでの記録を、一緒に追っていただけたら幸いです。よろしゅうおたのもうします。
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