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その笛吹きについていって大丈夫?

マスクだったら、まだわかる。
でもどうして、トイレットペーパーがなくなるんだろう?

「オイルショック」の時は、中学生だった。
スーパーの棚にトイレットペーパーが見あたらないあの光景。

でも、別に困らなかった。
まだ水洗じゃなかったし、束売りのちり紙使ってればいいだけで。
トイレに紙がなくても死ぬわけじゃない。

総理が休校措置を口にしたのが木曜日。
翌朝全国一斉に学校各位は大騒動で対応。
学校にとっては「年度末」の意味は本当に大きい。
1年のまとめ、振り返り、そして次の学年学校への心準備をする時期。

確かにコロナの危険性は否めないけど、そんな突然つながりを断ちきらなくちゃいけないほどの緊急性のある地域はどのくらいなんだろう?

「かぜ吹けば桶屋が儲かる」という言葉がある。

風が吹けば桶屋が儲かる
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

語のことわざで、ある事象の発生により、一見すると全く関係がないと思われる場所・物事に影響が及ぶことの喩えである。 「大風が吹けば桶屋が喜ぶ」などの異形がある。

これが転じてビジネスの世界では、「このくらい用意周到に考えて先読みすべし」のような意味で使われることもあるみたいだけれど、今回のコロナ騒動のトイレットペーパーは、もともとの意味に当てはまる。

そもそも関係あると思われるマスクでさえも、あそこまで消え去ってしまうこと自体異常すぎる。

要するに「考えすぎ」……自分のまわりを見回したときに、そこまでする必要があるのかどうか?

私にはどちらかというと、頭に浮かんだのが「ハーメルンの笛吹き」の図。

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笛を吹いているのは誰だろう?
そしてそれを聞いて嬉しそうに周りを踊り、どこへともなく連れ去られてしまう子ども達って、今のこのコロナという「恐怖」に踊らされている日本……トイレットペーパーが消え、コロナという名前がついているだけで、関係ないビールが売れなくなり、準備もまったく出来ないままの休校措置に子ども達は行き場を失う。

風が吹いたら桶屋が儲かるためには、いくつかの「過程」があるのだけど、今の日本の状態は、コロナという風が吹いたら即桶屋に走る人たちばかり……と言う構図になっちゃっているのじゃないのかなぁ。

人を支配するのに、一番楽なのは「恐怖」と「不安」を吹き込むこと。
この「恐怖」や「不安」というメロディーを吹いている笛吹きは誰か?
その笛吹きに踊らされて、そのままくっついていってもいいのか?

踊る足を止めて、ちょっとゆっくりまわりを見回して考えてみればわかる。
テレビから流れる音声をうのみにしないで、自分でちょっと調べてみればわかる。

今、休校という突然の嵐に巻き込まれて大変な子ども達には、そのあたりを話して一緒に考えてみるいいきっかけかもしれない。

「学校」という場所のあり方を外から見て、「子ども達にとっての意味」をもう一度見直す、いいきっかけかもしれない。

……そういう意味では「災い転じて福となす」チャンスかも。


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