「何でも有る」ことで無くした物
買い物でドラッグストアに行ったら、なんとまぁきれいさっぱり棚がすっからかん。
マスク、トイレットペーパー、ウエットティッシュ
生理用品、ナプキン。
これって、そんなに必要品?
なきゃ困る?
2011年、東北の震災があって原発が停止して、電気の不足が騒がれた。
けれど、大騒ぎしたほど停電にはならず、自粛で充分まかなわれた。
いや……正直あの頃くらい、夜は静かな方がいいと思った。
物が無いから有った物
そんな私は昭和35年生まれ。
「モノがない」ことの方が当たり前だった。
夜、家族でテレビを見ていると(この頃は白黒テレビだった)、突然放送が途切れて砂嵐……とか、大雨で突然停電で真っ暗になって雷の光が部屋を照らすとか、そんな事が当たり前にあった。
電気が消えたら、ろうそくをつけて、薄暗がりの中で家族でお茶飲んで明るくなるのを待った。テレビが消えても「いつものこと」だから、復旧するのを待った。物が無くて、無いのがあたりまえで待つ「余裕」があった。
今、100均で安く売っているものも当時は高価な物が多かった。
腕時計。傘。電卓。懐中電灯。
母がいつも、家計簿を一生懸命計算している姿を見ていたので、小学生の頃に母の日に、電卓をお小遣いを貯めて弟とあわせて買った。
ノートや鉛筆も高価だったので、最後のギリギリまで大事に使った。
物が無くて高価だから、そのものの「価値」と「命」を大切にした。
マスクやナプキンは紙ではなく、布製だった。
汚れたら洗って、何度でも繰り返し使った。
お店は大抵、9時か10時くらいから夕方は6時くらいには閉まってしまう。
買い物出来るお店が近くになかったから、お金を預かって買い物のメモを握りしめて、預かったお金で買えるように見繕いながら買った。
握りしめたお金の価値も、しっかり感じていた。
テレビや家電品は、壊れたら馴染みの電気屋さんが来て修理してくれた。
高価な買い物だから、もう修理不能だ、というまで使った。
馴染みの電気屋さんは、ちょっとした修理くらいだったら「いいよいいよ」と無料でなおしてくれた。物を通しての人情(交流)があった。
テレビなどを直すとき、後ろのネジをはずしてなんだかゴチャゴチャした配線の中身を電気屋さんがいじる。その様子が面白くて、じっと見ていた。構造がシンプルだったから、大人になったら自分でもちょっとしたものは直せるようになった。
おもちゃもなかなか買ってもらえなかった。友達はみんな持っている着せ替え人形が欲しくて欲しくて、サンタさんが持ってきてくれたときは天にも昇る心地だった。でも「着せ替えの服」はそうそう買えなかったので、布の端切れを縫い合わせて自分で作った。
無いから作る。無いから生み出す。無いから工夫する。無いから考える。
すべては「無い」からあるものだった。それが当たり前のことだった。
「何でもある」のが当たり前だと……
今、お店に行けば、なんでも買える。
24時間営業の店、年中無休の店、そのおかげで深夜も早朝も、正月も年末も、「困った!」ということがない。
スマホ1台あれば、通話、通信、Web検索、ゲーム、なんでもできる。
ぶ厚い辞書を持ち歩く子、使いこなす子はほとんどいない。百科事典は置き場所に困る無用の長物になった。
必死でノートをとらなくても、スマホで写メればいい。
文章も、下書き・清書しなくても何度でも消去して上書きし、きれいにプリントアウト出来る。
テレビをつければ情報が垂れ流し。
世界中のことが目から耳から流れ込んでくる。
要不要関係なく。
便利になったね。何でもある。なんでもできる。
でも………
何でもあるから無くなった物
「なくて困る」という思いがなくなった。
「ないから自分で工夫しよう」という思いもなくなった。
「すぐに出来る」から、待つことがなくなった。
待つ時間という余裕を楽しむこともなくなった。
あるのが当然だから、ないときの困惑が、不安になる。
不安がふくらむと、目の前が狭くなって、恐怖になる。
恐怖は怒りを生み出す。
無い状態がわからない。想像出来ない。
どうしたらいいのかわからなくなる。
………この「想像力の欠如」が、一番恐ろしい。
物が無くても、想像力があれば工夫が出来る。
無いものの代わりにどうしたらいいのかを考えて創造出来る。
自分の知っている世界の「外」を想像出来れば、他人の気持ちや立場を思いやることも出来る。
想像力=創造力
創造力=無いものを自分で生み出す力、工夫する力
必要な物を自分で判断してつかむ力
一番は、「当たり前」なことになれすぎて、「有り難い」ことが見えなくなった。「感謝の心」は「無いことを知っている」から生まれるもの。
何でもあって、何でも与えられて、それが当たり前の今の世の中。
でもそこに突然「無い」が起こったとき。
それを想像出来ない「何でもある」時代の人たちは、どうなるのかなぁ。
何もなくなった棚を見て、ふとそんな事を考えた。
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