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下之一色町魚市場最終日でした

昨年の10月中頃から撮り始めた、名古屋市中川区、下之一色町の魚市場が100年ほどの歴史に幕をおろしました。

今年の3月に閉鎖と聞いていたわけですが、いつものことながら、『なくなる』となるとあっという間でした。

最初は、名古屋市内のお散歩写真の企画の延長で撮影を開始。
『カメラマンが写真を撮りに来ているらしい』となって、魚市場の記録を残すことになりました。

魚市場は今日3月13日で閉鎖しましたが、僕の撮影はあと一回。
取り壊し前の集合写真が残っていますから、まだ終わったという実感がありません。

記録の本来の目的は、各店舗ごと、看板を入れ、お店の様子がわかるように全員を撮るというものでしたが、合間に撮った市場の写真を、ほんの一部紹介させていただきます。

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魚市場、最後の理事長さん。
昔は、日曜日休みなんてなかったから、自分の成人式にも、市場の仕事を終えてから向かった。

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「お茶飲んだかい?」
「これつまむかい?」
「これ早く食べて」
早朝、市場に顔を出すといつもたくさんご馳走していただいた。


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四代目のうなぎ屋さん。
店主さんは、昭和11年生まれ。

先先代にあたる、今の店主さんのおじいさんは、うなぎに水をかけながら、汽車に乗って新橋の方まで運び、いく先々でもらったお札を長靴に入れて帰ってきていたそうだ。
このお店に後継はいない。
数年前、自宅の前で転倒し杖をつくようになったけれど、市場閉鎖後も、自宅でうなぎの商売を続けるとのこと。

「子どもの頃から仕事を手伝っていたから、手もこんな風になってね」
と、僕に右手を見せてくれた。
痛くないですか?と聞いてみたけれど、全く痛みも不都合なこともないという。

「真面目に仕事を続けてきた証ですね」
というと、嬉しそうに頷いてくれた。


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こちらは市場に三軒あるうなぎ屋さんのひとつ。
うなぎを割る時に包丁をまっすぐ入れてしまうと切れてしまうから、包丁をこの角度で斜めに入れる。
まな板には、斜めに入った包丁の跡がくっきりと残っている。
このあと、井戸水を使っている自宅の仕事場を案内してくれた。




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日本刀のように長い包丁を巧みに扱うマグロ屋さん。
こちらは市場と共に、お店を閉じる。
50キロを超えてくるようなものは大変だけれど、30キロ程度なら一人で運んでしまう。
包丁もずっしりと重い。


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兄ちゃん!魚は上から見るんやぞ。
こうやってみて、厚みがしっかりしているものを選べばいい。
今からこの天タイをさばくからよくみとってみ。


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こうやって盛りつければ1000円そこそこに見えんやろ?
さばいてすぐ食べたがるけれど、それやと身が締まりすぎて硬いんや。
昆布で挟んで、3~4日おいて昆布締めにすると味がしみてうまいで。

鳥羽一郎と同郷のおじさんは、子どもの頃から船に乗り親や親戚の漁を手伝った。
「豊かにならないかんで。歌手の鳥羽一郎おるやろ。あれらも同じように子どもの頃から海に出て漁の手伝いをして育ったんや」

魚の見分け方、食べ方をたくさん教えてもらえた。


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市場のちょうど真ん中あたりにある魚屋さん。
いつも遅くまで魚をさばいていた。
こちらは市場閉鎖後も地元で店を続ける予定だけれど、まだどのようにするのかはっきりしたことは決まっていない。


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給食用のさばの骨抜き。
魚を美味しく食べられるように、市場では意外と細かく根気のいる仕事が多い。
こちらは、津島にもお店がある。


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市場の中心の休憩所。


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細長い魚市場の建物は、川の流れに沿ってくの字に曲がっている。


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風がある晴れた日は、干物作りに適している。
こんな日は、お客さんがいなくなった駐車場にたくさん魚が並ぶことがある。


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最終日は、テレビ局、新聞社、お客さんで「ここ最近の年末年始より人が来ている」ぐらいごった返した。
市場が終わったあと、すぐに冷蔵庫などの撤去が始まった。

撮影に行くたびに、とても暖かく迎え入れてくださった皆さんに感謝します。

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