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怪談⑦蛇のお霊参り

江戸のとある商家に用心棒として寝泊まりしている浪人の乱兵衛は、ある月夜の晩に縁側で一人、茶碗酒を楽しんでいた。

「うむ。見事な月だ。これじゃ月見酒もはずむわい。フハハハハ」

二杯が三杯、三杯が四杯とやっているうちに、すっかり酔いが回り気分が良くなった乱兵衛は、庭先の草木に向かって口笛を吹いた。すると、その音色に引き寄せられるかのように藪陰から一匹の蛇がスルスルと出てきた。舌をチロチロさせながら、地を滑るようにして無邪気に自分に向かってくる蛇を見た乱兵衛は、それまで吹いていた口笛をやめるや否や、あろうことか傍らの刀に手をかけると一気に引き抜き、大上段に構えて躊躇なく蛇を一刀両断した。

「愚かな蛇よ。相手を間違えたな」

実は、乱兵衛は根っからの蛇嫌いなのだ。真っ二つになった蛇の死骸を刀の先で引っ掛け池の中へ放り込むと、「ふん。すっかり酒がまずくなったわい」と吐き捨て、よろよろと床の間へ消えていってしまった。まさかこの後、執念深い蛇が自分を祟ってお礼参りに来ようなどとは、この時点では夢にも思わなかった。

後日、幽霊となった蛇は、なんとしても乱兵衛に仕返ししてやろうと企んでいた。それは、草木も眠る丑三つ時に床の間へと侵入し、寝ている乱兵衛の首に巻きつき絞め殺すというものだった。ある満月の夜、今夜こそはと意を決した蛇は、額に鉢巻きをキュッと締めると、「いざ出陣!」と屋敷へ忍び込んだ。息をひそめながら床の間の襖(ふすま)を開けると、あの晩自分を叩き斬った憎き浪人が大口を開けて寝ていた。わなわなとこみ上げてくる怒りを押し殺しながら乱兵衛の枕元まで来ると、舌をチロチロとしながら、ぐっと敵を見据えた。

「ここで会ったが百年目!」

蛇がいざ飛びかからんとした時、浪人を挟んで反対側に置かれた刀が目に飛び込んできた。その瞬間、自身が殺された時のあの無残な光景が鮮明に蘇り、蛇だけに手も足も出なくなってしまった。

ここまで来て……後はもう目の前の相手の首を締めるだけ……しかし、刀があって近づけない……。蛇の生殺しとは、まさにこのことである。

そんな時、一計を案じる蛇に妙案が浮かんだ。

ーーあの晩、刀で斬られて死ぬ間際に、自分が呑み込んでいたカエルを代わりに行かせて仇(かたき)を取ってもらおうーー。

蛇は早速、カエルを吐き出すと、こう指示した。

「おい、カエルめ。おまえ今からこの野郎の口から体の中へ入っていって腸(はらわた)を全部喰い尽くせ」

「へい、蛇の旦那。ガッテン承知の助でやんす」

親分に命じられたカエルは少しも臆することなく乱兵衛の元まで行くと、ヒタヒタと顔をよじ登り大口の縁に立った。

「それじゃ蛇の旦那、いい結果を期待してておくんなさい」

そう言うと、カエルは果敢に口の中へ飛び込んだ……と思ったのも束の間、すぐに引き返してきてこう言った。

「蛇の旦那、面目ねえ。口の中へ入ったはいいが、あっしの体じゃあ、あの狭い喉を通過することが出来ねえんです」

困った蛇は、カエルと共に知恵を絞った。

すると、カエルがポンと手を打った。

「そうだ!蛇の旦那。あっしがアンタに喰われる直前に食べたナメクジを代わりに行かせましょう!」

それを聞いて驚く蛇を尻目に、カエルはさっさとナメクジを吐き出すと、こう命令した。

「やい、ナメクジめ!今からこの男の喉仏をくぐり抜けて腸をねこそぎ喰い散らかしてこい!」

しかし、ナメクジは「それは出来ない」と生意気にも主人であるカエルに歯向かってくる。

「テメェこの野郎!ナメクジのくせに俺に逆らおうってのか!?お前が言うこと聞いてくれなきゃ俺が蛇の旦那に喰われちまうんだ!」

するとナメクジは、カエルに対して涼しい顔でこう言った。

「じゃあ、蛇の旦那があたいのこと食べたらやってもいいよ」

蛇がナメクジを食べられるはずがない。なぜなら蛇がナメクジを食べると、その粘液により体を溶かされてしまうからだ。つまり賢いナメクジは、初めからそれを見越していたのだ。こうなると三者三様の十字架を背負ったも同然。蛇はナメクジが怖く、ナメクジはカエルが怖い。そして、そのカエルは蛇を恐れているから、結果、誰も手も足も出せないーーいわゆる「三すくみ」状態である。

やがて、各々がにらみ合いのままで、いつまでたっても煮え切らないでいると、遂に浪人が目覚めてしまった。

「何奴!!

……………!?………………

ば、化け物め!ええい失せろ失せろ!」

乱兵衛が起き上がり、縦横無尽に刀を振り回すと、三匹の幽霊はスーッと消えてしまった。

翌日、諦めきれない蛇はカエルにこう指示した。

「おい、カエル!夕べと同じように今日もナメクジに行かせるんだ。ただ、俺がいるとナメクジの奴はまた歯向かってきやがるから、今日は俺は押入れに隠れて見ていることにする」

まもなく夜が更けて丑三つ時になると、カエルはナメクジを床の間へと呼び出した。

「いいか、ナメクジ!今日こそは浪人の腸を喰い尽くすんだぞ!さもなきゃ、俺がお前を喰っちまうからな!」

今日は蛇がいないので、ナメクジは素直に従うしかなかった。襖を開けると、昨夜と違って、かすかに香の匂いがした。さすがの乱兵衛も夕べの出来事を気味悪く感じたらしく、「魔除け」として焚いたようだ。見ると壁のあちこちに御札(おふだ)も貼られている。しかし、ナメクジは意に介さず、キラキラと光る粘液を残しながら畳を這い、足もとの方からじりじりと近づいていく。すると、乱兵衛のちょうど腰元辺りまで来たところで、何故かナメクジはピタリと止まってしまった。不審に思ったカエルが問い詰める。

「やい、ナメクジ!何をグズグズしてやんでい!」

カエルに凄まれたナメクジは、必死の形相で懇願した。

「ご主人様、勘弁しとくれ!枕元に塩が盛ってあってこれ以上近づけねえんです!」

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