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落語(50)心象幽霊

◎ゲゲゲの鬼太郎の歌…『ゲ ゲ ゲゲゲのゲ〜 夜は墓場で運動会〜 楽しいな楽しいな お化けは足がない〜♪』…だと思っていたのは私だけでしょうか?(実際は『お化けは死なない****』)   しかし、この『お化けは足がない』という概念はもはや常識です。で、このイメージを確立したのが江戸時代の円山応挙まるやまおうきょという絵師。日本では、初めて"足のない幽霊"を描いたとして有名です。さて、ここにおりますのが絵師の水木心象しんしょう。折からの怪談ブームに乗じて続々と仕事が舞い込み、制作した幽霊画は数知れず。そんな順風満帆な矢先のこと…。

幽霊「もし、先生、起きておくんなまし。心象しんしょう先生、起きて下さい」

心象「ん?…んんん…ん…んあ?…だ、誰だお前さんはっ?」

幽霊「お休みのところ、突然お邪魔致しまして誠に申し訳ございません。わたくし、先生がいつかお描きになった幽霊画の幽霊でございます」

心象「何と…わしが描いた幽霊画の?」

幽霊「はい。ちょうど昨年の今頃でしょうか。両国の『閑古鳥かんこどり』という店の為にお描きになられました絵でございます」

心象「ああ、覚えておる。あの、すっかり客が来なくなって今にも潰れそうだった寂れた料理屋な。あの時確かわしは、いかにも薄幸そうで陰のある恨めしそうな表情の女の幽霊を掛け軸に描いたはず…むむ?お前さん、その目元の泣きぼくろ、そして島田髷しまだまげ…まさにあの時わしが描いた幽霊の姿かたちそのものじゃないか」

幽霊「ええ、ですからまさにあの掛け軸から出てまいったのです。おかげ様で、『珍しい掛け軸がある』と瞬く間に評判となり、今ではあの店はすっかり繁盛店となりました。それもこれも全て先生のおかげです。その節は大変お世話さまでございました」

心象「ほう…すると何か?お前さんがまさにあの時の掛け軸から出てきた幽霊だと?」

幽霊「はい。…そうですねぇ、幽霊ですから名前は『お幽』とでも呼んでいただければと…」

心象「これは驚いた。まさか、幽霊画の中から本物の幽霊が出てくるとは…。で、お前さんが今頃わしの所へ一体何の用だね?」

お幽「ええ、それなんですけど…実は折りいって、このたび先生に足を描いていただきたくお願いに上がりました」

心象「何?お前さん、幽霊の身でありながら、わしに足を描けと言うのかね?」

お幽「はい、不躾なお願いであることは百も承知です。でも、わたくしなりに悩みに悩んだ末でのお願いなのです。それには、どうしても先生のお力が必要なのです。お願いです、心象しんしょう先生。わたくしに足を描き足して下さいっ」

心象「わ、分かった分かった。まあ、まず落ち着きたまえ。とりあえず訳を聞こうじゃないか。…で、何だね。お前さん、足がないことで一体これまでどんな悩みがあったんだね?」

お幽「はい、わたくしはこの通り幽霊の身ではありますが、一応嫁入り前の娘でございます。やはり生身の人間と同じように、お洒落もしたければ恋もしたい。履物だってかわいい物を履きたいし、好きな人とほんのちょっと踵を浮かせて口づけだってしてみたいのです。それがこの通り足がないのでは、ただフワフワーッと行って真正面からブチュッとやるだけですから、甘酸っぱい雰囲気とか胸キュンな感じがちっとも出ないのです」

心象「ああ、なるほどな。それはたしかに、乙女心というものは得てしてそういうものかもしれないな。まだ丸髷まるまげの人妻で描いてやればよかったものを、わしがうっかり島田髷しまだまげの娘で描いてしまったばかりに…あいや、それは実に済まないことをしてしまった」

お幽「わたくしはこの件で人知れず思い悩み続け、自死しようとしたことだって幾たびあったか知れません。しかし、それではせっかく先生から頂いた幽霊としての命を無駄にしてしまうことになります」

心象「幽霊としての命って…何だか妙な話だねぇ…まあ、いいや。それで思いあまってわしの元へ来た、と。…だがしかしだねぇ、お霊よ」

お幽「お幽です」

心象「ああ、済まないお幽か…お幽よ、これについちゃ、実は抜き差しならない問題があるのだよ」

お幽「問題、と言いますと?」

心象「うん。実は我々絵描きの世界では、ある特定の題材を取り上げる時には、ある程度その先駆者が定めた概念に沿って描かねばならないという暗黙の決まりがあるんだ。例えば山水画であれば山と川の組み合わせで描かなければいけないし、春画であれば着物を着たまましているところを描かなければいけない。これが幽霊画であれば、我々は"足のない幽霊"を描かなけばいけないというのが絶対的にあるんだ」

お幽「はぁ、さようでございましたか。絵師の世界にも、色々としがらみがあるのですね。…では、一体どなたがそのようなお取り決めを?」

心象「うむ。一説によると、今から五十年ほど前に活躍した円山応挙まるやまおうきょという絵師が"足のない幽霊画"を描いたことが始まりとされている。従って、仮にお前さんがどうしても足を描き足してほしいというのであれば、その円山応挙まるやまおうきょ先生の許可が必要ということになるのだが、いかんせん先生はもうとっくにこの世にはおらん。かと言って、わしが画壇のしきたりを破って勝手に描くというわけにもいかんし。うーむ、困った…」

お幽「でしたら心象しんしょう先生、わたくしがあの世からその円山応挙まるやまおうきょ先生をこちらへお連れして、そこで許可が下りればよいということですね?分かりました。ではわたくし、早速帰ったらその先生をお探しして、近日中に改めてお伺い致しますので、その際は何卒宜しくお願い申し上げます。では、ひとまず本日のところはこれにて失礼させていただきます。ヒュー、ドロドロドロ…」


 さて、そんなわけで明くる日の晩のこと…。


お幽「先生、もし、心象しんしょう先生。起きておくんなまし」

心象「ん?んんん…んー…ん?…あっ、お前さんは夕べの…お霊?」

お幽「お幽です。…心象しんしょう先生、ご覧下さい。約束通り、今日は円山応挙まるやまおうきょ先生をお連れしてまいりました」

心象「な、な、何と!こちらがかの有名な円山応挙まるやまおうきょ先生と!?」

応挙「エッヘン。水木心象しんしょうどの、ごきげんよう。夜分遅くに突然押しかけてきてしまい誠に相すまぬ。小生が、絵師の円山応挙まるやまおうきょだ。すでに、話はこの娘から聞いておる。そこで今日はそなたに、是非とも小生からも、この娘の足を描いてもらわんことをお頼み申そうという所存でやってまいった」

心象「え?…と、すると、応挙おうきょ先生から直々に幽霊画に足を描くことのお許しが出た、と受け取ってよろしいのでしょうか?」

応挙「うむ、構わん。間違いなく小生が認めよう…と、言うのもだな心象どの。ここだけの話、誰あろう小生が最も足を描いてもらいたい身なのだ。見たまえ、この小生の足元を」

心象「あっ、何と応挙おうきょ先生にも足がないっ」

応挙「そうなんじゃ。小生がうっかり『幽霊は足がないもの』としてしまったが為に、当然小生もあの世へ行った途端、足がなくなってしまった。心象どの、足がないというのはつまらんもんだ。何が一番辛いかって、下半身がないのだから夜の楽しみがすっかりなくなってしまったことじゃ。これでは幽霊として性の衝動を感じることが出来ず、生きてるという実感がまるでありゃしない」

心象「おやおや?…何だかあべこべな話だぞ??…幽霊として、生きてる実感??……まあ、いいや。しかし、驚いた。あの応挙おうきょ先生が霊となって降臨されただけでも驚きなのに、さらにはご本人から直接、"足のある幽霊画"を描く許可まで頂けるとは…」

応挙「うむ。もし必要とあれば、今ここで許可証でも認定証でも一筆啓上するぞよ」

お幽「心象先生、そういうことですので、是非わたくしの絵に加筆のほど宜しくおたの申します」

心象「…分かった。そういうことであれば、ひとつ筆を取らせてもらおうではないか。あした早速、お前さんの幽霊画を所有している例の料理屋に出向き、店主に掛け合って足を描かせてもらおうではないか。…応挙先生、この度は遠い所からわざわざご足労いただき、誠に有難うございました。不肖ふしょう・水木心象しんしょう、たしかに先生のご意向を承らせていただきました。以後私が責任を持って、一切の幽霊画に足を描くよう、日夜精進してまいりたい所存であります」


 翌日、水木心象しんしょう先生は早速お幽の掛け軸に二本の足を描き足しまして、晴れてお幽は念願の"足のある幽霊"となったわけですが…昔から『思うこと 一つ叶えばまた二つ 三つ四つ五つ 六つかしの世や』とはよく言ったもので、叶ったら叶ったで悩みというものはまた新たに頭をもたげてくるものです。それから、しばらく経ったある晩のこと。心象しんしょう先生が五体を伸ばして寝ております枕元に、またしてもお幽が例の掛け軸から抜け出してやってまいりまして…。


お幽「もし、先生。心象しんしょう先生、起きておくんなまし」

心象「ん、んんん…ん?んあ?…はっ、お前さんはいつかの…」

お幽「たびたび申し訳ございません。お幽でございます。その節は大変お世話になりました」

心象「ああ、ああ、すっかり足も生えて…いや、元気そうで何よりだ。…で、今日はまた何の用で?」

お幽「はい。…実は誠に申し上げにくいのですが…その…やはり足を消していただきたく、お願いに上がりました」

心象「何と!?せっかく描いてやったその足を、今度は再び消せとな!?」

お幽「はい。わたくしも自分で本当に理不尽なことを申し上げているということは重々承知しております。でも悩みに悩んだ末、どうしても先生にお願い致したく…でなければ、わたくしはもう…この命を断とうかと…」

心象「ちょちょちょ、待て待て。分かった、分かったから。まあ、まずは訳を聞こうじゃないか。…で、再び足を消せとは、一体いかなる事情で?」

お幽「はい。実はあれほど願った二本の足でしたが、あったらあったで、今度は心配で心配で仕方がないのです」

心象「何、心配?…一体、何が心配なんだ?」

お幽「はい。地に足がついてしまいましたものですから、今度は逆に浮かばれないのではないかと…」




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