タイヤがひとつなくなった車のおもちゃを受け入れている息子を見ていいなぁと思った話。#101
祝日。夫は休日出勤で、ちょっとここ最近私が爆発したり結構消耗していたので、両親に来てもらい子供たちと遊んでもらうことにしました。
両親ともにとても可愛がってくれます。
出産してますます親のありがたみが身に染みています。
ただ、どうしても耳についてしまうのが、母がすぐ子供に向かって言う、「〇〇しちゃだめだよ!!」という否定形の言葉がけ。
やっぱり、孫にも言ってる~!!
子供時代、母は私が水をちょっとこぼすだけでもずいぶんと怒る人でした。
私のコップの持ち方がよっぽど危うかったのかもしれませんが、
「こぼすよ!こぼすよ!ほらこぼした~!!だから言ったでしょ!!(ガミガミガミガミ×∞)」
こうして書いていても思いますが、これでは「むしろこぼして欲しいって思ってない!?」と思いませんでしょうか?笑
まるでダチョウ倶楽部の「押すなよ?押すなよ?」と同じ臭いを感じてしまうのは私だけでしょうか。
なんだかこれが子供時代すごく嫌だったので、私なら「上手に持ってね。」位に、とりあえず否定形ではない言い方で言葉がけしたいと思っていたのです。たぶん「上手に」だけでもきっと不適切できっともっと子供にわかりやすい言葉に置き換えるのがいいと思いますがここでは一旦置いておきます。
我が家にはタイヤがひとつ取れた車のおもちゃがありました。
ほんのちょっとお高い音が出たりするやつ、というのも正直ありますが、息子がそれを特に気にする様子もなく遊んでいたので、そのまま取ってあったんです。
タイヤは何度か修繕を試みましたが使うのは2歳児。壊れるのも秒なので諦めました。
そのおもちゃを見て母は、タイヤの奥にあるべき部品がむき出しになっていることをやたらと気にしていました。
「〇〇ちゃん(妹)にぶつかったら危ないからね。」とか、「ここ危ないから気をつけるんだよ。」執拗に何度も言います。
それを遠目で見つつ、「せっかく今まで何も気にせずちょうどいい塩梅で遊べていたのに。そんなに言ったら意識し始めちゃって逆効果では!?」と、余計なこと言わないで~と思い始めてしまいました。
母があまりに「危ない。危ない。」と連発するので、「そう言われると、そうなのかなぁ?」とこちらまで思い始めてきました。
でも、息子は上手に遊べている。
タイヤがひとつなくなった車を、当たり前に受け入れて遊んでいる。
その様子を初めて見た時「なんかいいなぁ。」と私は思ったのです。
「壊れたからもういらない!」とか言わない息子に、意外と大人だな~とか、欠けたものを普通に受け入れることに尊さを感じました。
せっかくだから私はそこで、「壊れちゃったから、ナイナイしようね!」ではなく、そのまま受け入れて遊んでもらうことで心の大切な何かを育めるような気がしました。
なので母に色々言われてもやっとはしましたが、そっとまたおもちゃ箱に戻しました。
それでまた遊ぶ息子を見たいと思いました。
自分の子供時代を思い返しても、くったくたになったぬいぐるみの方が気に入っていたり、変身ステッキみたいなのも最新のよりそのひとつ前の方を好んだり、子供なりに愛着の基準はありました。
息子がもうその車のおもちゃに手をつけなくなるその日が来るまで、大切にとっておこう。
今日も、
新しい1日が、
始まります。
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