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改めて決心。いってらっしゃいとおかえりだけは必ず言おうと。

揺れに揺れて感情が爆発し、9時間死んだように眠り起きた朝。まだこの時点では夫への感情が消化できておらず、顔を合わせれば嫌な態度を取ってしまいそうで、夫が家を出てから起きようと思っていました。今はまだ下で出勤の準備をしています。

そんな時に限って息子が目覚め、起きると言い出しました。もうちょっと待ってくれ!と思いながら寝たフリをしてみましたが、ドアをガチャっと開けて寝室から出て行ってしまいました。
階段の手前にはベビーガードを設置しているので1階へ行くことはできません。
それで上から夫に向かって「ととー」と呼び掛けています。もう出かける所だった夫に「気をつけてね。」と言っていました。

それは、夫が家を出る時、「いってらっしゃい。」の後にいつも私が言っていた言葉でした。

「いってらっしゃい。」を、言えないというか言わない時がありました。

特に1人目を出産して復帰してワーママとして日々奮闘していた頃。夫はいつも出発が早いので朝の子供の保育園準備はほとんど何もできません。保育園に送るのも絶対に私です。
たまに疲れてくると、朝お父さんが保育園に送っている家庭を見ると、てことは朝の準備も手分けしてできてるんだろうな。いいなーなんて、隣の芝は青い通り越して虹色に輝いて見えました。1人で子供の準備、送り、柴犬の散歩を出勤前にしていた私は毎朝綱渡り状態でした。

今は育休中なので2人分のお世話を大急ぎでやる必要はないけれど、それでもたまに夫の出発が少し遅くて子供ももう起きている時、せめて朝一番のオムツ替えをやってくれるだけでも違うのにと思いつつ、余裕があればやってくれる時もありますが、自分の準備だけ済ませて「あとよろしく!」と出て行く時は、いってらっしゃいを言いたくない気分になる時がありました。書いていて自分の小ささが嫌になります 笑

「気をつけてね。」という息子の声を聞いて、何か迫り来るものを感じて。
いってらっしゃいを言えない時がある自分。
実家の母を思い出しました。

母はあることをきっかけに父にいってらっしゃいもおかえりも言うのをやめたエピソードを、かなり昔に聞いたことがありました。
そこからこじらせ続け、確かに母が言っているのを見た記憶がありません。

その話を聞いた時私は絶賛父が嫌いな時期だったので、「まぁ、そうなるわな。」位に、母の気持ちに共感していました。

時を経て父へのわだかまりもなくなった今。
(そのきっかけの話)
父は、私が子供を抱っこしながら柴犬の散歩をしていたので、週に2日散歩に来てくれることになりました。その散歩に出かける時と、帰ってきた時、「いってらっしゃい。」と「おかえり。」を言うようにしました。
父にとっては数年振りどころか数十年振りに聞いた言葉かもしれません。
久しぶりに聞いた時は新鮮さを感じたかもしれないし、あまりに言われなかった期間が長すぎてむしろ違和感を感じたかもしれないし、何も感じていないかもしれません。

数十年聞くことのなかったいってらっしゃいとおかえりを、代わりに私が埋めていこうと勝手に思ったのです。

そして私が今一番それを言うべき相手にきちんと言えていないのは、血は争えないと言うのか、母とまるで同じことをしてしまっている私。

感情大爆発からの、冷静になり夫への尊敬や感謝の気持ちを思い出し中庸に戻れた今。

どんなに喧嘩したり空気が悪くなったとしても、「いってらっしゃい。」と「おかえり。」だけは言おうと決めました。

子供時代、母が父にそのどちらも言わない場面を見ていた記憶は、気持ち良いものではありません。

これは夫だけでなく子供にも、この先どんな反抗期が訪れたとしても、必ず言おうと決めました。おかえりを聞けただけで安心する日があるかもしれない。それが聞けたら自分は安心していい合図になるのかもしれない。

わからないけど、毎日「今日も頑張ってくれてありがとう!感謝してます。」なんて絶対言えないから、その短い言葉に思いを込めようと思います。

さぁ、

今日も、

新しい一日が、

始まります。


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