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母のフィルター通しての父と、実際の父は全然違うと出産してからやっと気づいた話。

反抗期をこじらせていた訳でもないけれど、父のことが長らく嫌いでした。
母からお金の事で度々父に迷惑をかけられた話を聞いていたし、「父=母を困らせた人」 いつしかそんな公式が自然と出来上がっていました。

どこの家でも母親が父親の悪口を子供に吹き込むって、あるあるなんでしょうか?笑

少なくとも私の家庭はそうでした。
母はいつも父の悪口を言っていました。
子供ってやっぱり父親よりも母親と過ごす時間の方が多い。実際の所父のことをよく知らなかったけれど、ナチュラルに吹き込まれた母親からの父親像によって、私の父親像が出来ていた気がします。

その父親像とは…「母がパートに出るとそれをあてにしてお金のことで度々迷惑をかけた。」とか、「肝心な時に気が回らなくて役に立たない。」だとか。まぁ、ろくなものではない 笑 

父と過ごす時間が短く父のことを深く知れる時間がなかった分、母が語る父が、そのまま私の思う父となっていました。

それが【「母のフィルターを通しての」父】だったのだと気づいたのは、出産してから、つまりほんの2年前位、つい最近だったのです。

実家を出て1人暮らしをして、やがて結婚をして、いよいよ親に頼ることはもうなくなった。最初はそう思いました。
しかし初めての出産をして、その時は良くも悪くも必死に何でも1人で頑張ろうとしたけれど、2人目を出産して色々と手が回らなくなり、再び親に頼る機会が増えました。

2人目出産直前に母が骨折したので、必然的に父が頼りの綱となりました。
そこで初めて、母抜きで、父と2人で会う機会が増えたのです。

思えば、母と2人というシチュエーションは基本形だったけれど、父と2人ということはほぼなかった気がします。

そこで産まれて初めて!?私は母のフィルターなしでの、私対父。言葉通り2人きりという場面を体験します。

そこで感じたのは、特に、ストレスがない。
というか、母が今まで散々言った程、父、悪くないよ?ということでした。
もちろん「夫婦」として長年過ごしてきた母と、「娘」としての私とではそもそもの基準が色々違うのは承知の上ではありますが…

我が家には外でしかトイレをしない柴犬がいて、2人目育休中の今、毎度子を抱っこしての犬の散歩が辛くなり、週2日父が散歩に来てくれるという新しい習慣が加わったのですが、つい先日も、母が「たまには刺身でも買いな」と二千円くれたようで、それを父が持ってきてくれました。(何故か二千円の使い道限定 笑)
私は「ありがとう。これで豪華な昼になるわ。」と喜びを父に伝えると、「それは良かった。」と実に穏やかな表情で言って。
そんな父、母が語る父親像にはなかった。

私が見る父は、穏やか。もちろん年齢を重ねて丸くなったのもあると思うし、妻への接し方と娘への接し方は同じではないと思う。
でもそんなハンデを抜きにしても、父、そんなに悪くないと思う。むしろ、母みたいに人を責めたりしないし、情緒も安定している。母みたいにヒステリックになったりしない分、いつも凪というか、変な緊張感を与えたりもしない。

こんなに父を冷静に分析できたのも、今まではいつも母が横にいて私に考える間も与えることなく父の悪さを吹き込まれていたから、実際初めてのことだったかもしれない。

こう書いていると実は問題児← は母だった疑惑が浮上するけれど、骨折で入院してスマホを持たない母としばらく連絡を取れなかった時、今まで夫の愚痴を気兼ねなく母に電話できていたのは、母が元気だったからだったんだなとしみじみ感じてからは、母だってもちろん大切な存在です。

ついつい存在感が薄まりがちな父という存在。思いがけず父と2人になる機会が増えたことで、初めて父単体を母のフィルターなしで見れて、私が思う父の良さに気づけたこと。大げさかもしれないけれど、それが父が生きているうちに気づけて良かった。

出産して手が回らなくなって親に頼る機会がなかったら、未だに気づけなかったかもしれない。父よ、今まで何だかごめん。母が仕立てあげた悪者像をそっくりそのまま30年以上、信じてしまっていました。

でもこれからは、フィルターなしで、あなたのことを見ようと思います。今のうちに気がつけて、本当に良かった。まだ遅くはないよね?


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