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私のルーツ

自分には生まれ直した、立ち帰る場所、記憶があります。

今は元気なのですが、2歳の時に腎臓の難病になりました。幼少時のほとんどを入院して過ごしました。

ステロイドの大量療法やありとあらゆる治療をしましたが、全く効果がありませんでした。
ほぼ1年排尿がほとんどありませんでした。
ステロイドの副作用が酷くムーンフェイスで
肥満、成長が止まっていました。

一日の水分制限は200mlまで、無塩食が続きました。私が一番つらく怖かったのは治療ではなく、夜でした。

昼間は友達と遊べますが、
みんなが寝静まった夜からが闇との戦いでした。
闇は私に死を強く連想させました。

死んだらどこに行くのか。
死ぬときはどれだけ苦しむのか。
死ぬってひとりだな・・・

怖くて怖くて、毎晩息を殺しながら泣きながら恐怖と戦いました。入院が長引くにつれ、治療を続けることも、この状態をつづけることにも疲れていました。

もう、終わりにしよう、そう思い、その日から、私は食事をとることを止めました。3歳ぐらいだったので、食べなければ死ぬと考えたのです。今思うと、自殺でしょう。

食べないだけなので、すぐに死ぬことはなく、
毎晩の死の恐怖との戦いは続きました。
いつしか、自然に何者かに祈るようになりました。

怖いです。死ぬのが怖いです。助けてください。寂しいです。
泣きながら振り絞るように祈りました。

その時、何か温かいものに包まれた感じがしました。
温かく、平安で恐怖が消えていきました。
不思議な体験のあと、死も夜も怖くなくなりました。

私は死の恐怖を受け入れ、生きようと決めました。
病気が治った訳ではありませんでしたが、
魂が元気になりました。

治らなくても生ききる、
治ったら誰かのために何かして生きたいと思うようになりました。
生きようとする思いに反し、私の体は悪化しました。

もう治療手段がなく、最終手段の抗がん剤治療をすることになりました。
癌ではなかったのですが、極少数抗ガン剤で効果がみられた事例があったのです。
母は、抗がん剤が不安で沢山祈ったようです。
そして、抗がん剤を含めた病院での治療を止めました。
止めても他に治す方法が見つかったわけではありませんでした。
ただ、抗がん剤はダメーと思ったようです。

兵庫の親戚のおじさんが腎臓にとてもよく効く薬を見つけたと連絡が入りました。
ただ、その薬を作ってるおばあさんは、
昔、みんなに求められ薬を勝手に売っていて刑務所に入った経験があり、口の堅い信用できる人にしか売らないと中々、売ってもらえなかったようです。
何回か話に行ってくれ売ってもらえることになりました。
おじさんはそれから往復3時間かけて、毎月薬をもらいに行き、送ってくれるようになりました。

初めて、届いたときのこと、忘れられません。

一升瓶に入った、見た目透明の水は
無臭で、今までもそれからも味わったことのない何とも言えないものすごい味で、堪えながら一気に飲みました。
1年間ほとんど排尿のなかった私でしたが、
飲んだ途端、尿がシャワーのようにシャーッと勢いよく出たのです。

その後、私はみるみる回復し、
20年後の腎生検で、普通の人と変わらない腎機能と診断されました。
主治医に今までやれなかったことを好きなだけやれ、と言われ、その後、私は看護師になりました。

最初の配属先は大学病院の腎泌尿器外科で移植をメインにやっているところでした。
あの頃のことを考えると治ることも想像できなかったけど、
看護師になり、将来自分が患者としているはずであろう病棟に
看護師としていることが不思議だし、感慨深かったです。

すでにもう亡くなられていると思いますが、
おばあさんは、あの頃すでにおばあさんだったので何度聞いても、未だにおじさんはどこに住むどんな方だったのか、
どんなものが入っていたのか教えてもらえません。
おそらく、薬草や野草だとは思いますが。

私の体は、エネルギーのある自然のもので治りました。
幼少時に死を受け入れたこと、
大いなる存在と遭遇したこと

これが私のルーツです。

そして、死ぬはずだった私が生かされている意味を考え続けながら、これからも生きようと思います。


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