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自分がどうありたいかについて掘り下げてみる

私は平日、訪問看護の仕事をしながら、週末や空き時間にパン屋をやっている。パン屋起業前の二年前、変わったビジネススクールに入った。その名も生業ブランディング道場。エネルギー(宇宙からのエネルギーの受け取り方、繋げ方、与え方など宇宙エネルギーとして自分や自分の生業をどう考えるか)と実際のビジネス論から自分の生業を考えていくという両輪を整えていくかつてないもの。内容は独自すぎて面白すぎた。

やっているのは、以前、沖縄で下の子のアトピーを治してくれたひだまり堂の由美さん。もう一人は、コンサルをしているスーさん。由美さんは、下の子のアトピーの記事で出てくる人で、9年ぶりの再会。
スーさんは、飲食店を何店舗も成功させてる人で、ビジネスの専門家。だけど、SNSでの投稿はビジネス向けの記事ではなく、BBQの専門家(沢山、BBQの企画をしている)だったり、お酒やハムなどを作って販売したり、デパートの屋上をデザインしたり、ヌマーランドなるところで、米を育てたり、畑をしていたり楽しそうな記事ばかりだ。2人とも生き方もビジネスもとにかく自然で、全く自慢も誇張もない。とにかく話をよく聞いてくれて、毎回、腹落ちと気づきがある。この生業ブランディング道場自体が、一つの生業サイクルを示してくれているのだ。

定期的な講義や色んな意味で大成功しているひだまり堂ができるまでを元にした生業ブランディング動画配信などをしている。この学びを通して、自分の生業を固めたり、始めたり、拡大したりと参加者の段階も様々。2人が私たちと話しながら、テキストを作ったり、アプローチしてくれそれぞれの物を固めていくもの。毎月、個別セッションを行ってくれる。
初めは、どういうことがしたいのか、どうなりたいのかなどをバーッと思いつくまま話をした。そこで言われたのは、エネルギーが上に行きすぎていて、大地に根付いていない、その土地のエネルギーをもらえていないというもの。

その土地のエネルギーを頂くとはどうすればよいか考えた。
おろくぼには山の上に神社がある。山の神様なんだな〜と思いながら挨拶をしていなかったので、それから毎日、朝と晩に挨拶にいく事にした。神社や道を掃除した。休みの日に白羽山を2時間くらい歩き、どこにどんな植物があるか調べることにした。すると、でんぱんをどうしていくかアイデアが浮かぶようになってきた。
次に会った時、由美さんに松果体がめっちゃ光ってると言われた。土地の神様に挨拶する、大切にするのはエネルギーを頂けることなのだろう。

2回目の個別セッションは、体話セッション。ひだまり堂で行っているもの。ひだまり堂は鍼灸治療、アロマ、マッサージ、ヒプノセラピー、算命学の宿命鑑定、イヤーコーニング、ぬくだまなどの物販、体話セッション、クリスタルボウル、観音舞など色んなことをしながら、みんなを輝ける方向に導いていく場所。その体話セッションを初めて体験した。

自分はどうありたいか、を掘り下げる。

まず、これまでの嫌な思い出や嫌だったことを時系列に書き出す。それを3つにグルーピングする。絞り込んだ項目のどんなことが嫌なのか、書き出す。その時、体はどんな反応を示すのか、書き出す。その反対の状況を言語化していくという作業をまず1人で行う。

まとまりそうもないメモたちを前に、セッションが始まる。まず1つ目のグループで絞りこまれたのは弱い自分。私は、幼少時より難病で死にかけ体がものすごく弱かったので、体が弱い自分がものすごく嫌で、健康に対する思いが強かった。そして、心も弱かった。忍耐に対する強さは半端なかったが、言いたいことをその場で言えない弱さや、今、この人を守りたいのに、その場で言えなかった弱さゆえの後悔の経験がいくつかあった。だから、たった一人でも自分の考えを貫いている人や権力に屈しないで戦う人に強い憧れと尊敬を持っていた。
弱い自分でいる時、体はどういう状態かというと、直立不動で、中心が固くなっていて、呼吸が浅い状態と書き出した。
そうじゃない状態はどういう状態かというと、緩んでる状態、笑っている状態、解放されている状態、自分があって揺るがない状態と書き出す。

その中で、一番しっくりくる言葉は?

揺るがない。

私にとって、弱さの対義語は端的に強さではなく、自分を掘り下げ、たどっていったとき、揺るがないという言葉に行きつきました。

2つ目は、差別、分断となった。病気の副作用で容姿をバカにされたり、みんなと同じ行動が取れなかったり、子供がアレルギーでみんなと分かれて食事したりという経験もあるが、自分が受けたものは何だかどんどん忘れてしまっていた。
それよりも転勤した沖縄や部落、韓国人、貧困など今まで自分の人生の中で見たもの、聞いたものに対する差別や分断に対しての嫌だな、という気持ちがとても強かった。
その嫌だなと感じる時、自分の体や心はどんな状態になるかというと、胸のところが熱くなり、燃えてくるような怒りの状態になる。ただ、その怒りはエネルギーでもあり、自分が何かをするときの原動力になる性質があった。

原動力にするのは、怒りでいたい?か。

いや、なるべくならマイナスな感情や言葉を原動力にはしたくはない。

じゃ、何を原動力にしたい?怒りの反対の言葉は自分にとって何?

私にとって怒りの反対で出てきたのは、笑い。笑っていたら、怒れない。私は、怒りを原動力にするのでなく、笑いを原動力にして生きていきたいんだ。笑いを原動力にみんなに笑いを振り撒きたいんだ。

笑いを原動力にする。

3つ目は、暴力だった。自分も多少の暴力を受けた経験があるが、これも忘れてしまうものだ。それよりも、人が暴力を受けている姿を見るのが辛かったし、眠れなくなるし、我慢ならなかった。そして、これは具体的な暴力にせよ、言葉にせよ、自分が受けるのも、他者が受けるのを見るのも傷となって残った。

暴力の反対は?

パッと浮かんだのが、ハグだった。
ハグしている時、どういう状態か?平安で、安心で、柔らかい感じで、緩んでて・・・色々出てきたけど、愛の交流、愛の交換・・いや、自分にとっては愛を分かち合っている状態だ。そう、思った。
私にとって、暴力の反対はハグで、ハグは私にとって愛を分かちあうこと。

愛を分かち合う。

私は、どんな自分でありたいと思っているかというと

①揺るがない自分でありたい

②笑いを原動力にして生きたい

③愛を分かちあいたい

というようにまとまりました。私は、でんぱんを通して、自分を出し切りたい、使い切りたいと思っていた。そのために、創造したり破壊したり、行きつ戻りつしながら、でんぱんを見つめて作っていこうと思っている。

どんな自分でありたいかは、嫌な経験や思い出を掘り下げて、出し切ってそれがどういう状態で、どんな反応だったかを突き詰める。
そして、その反対はどんな言葉かを言語化する。大切なのは、出し切って突き詰めないと、今まで見てきた世界の言葉になってしまうこと。自分の言葉が生まれるまで深掘りするのが大切とわかった。
出てきた言葉は、世の中の対義語としては登場しないものであり、でも、自分の中から出てきた自分語であり、腹落ちするモノだと感じた。そして、その自分語は、今まで直感で考え、人に話ていたものと一致していた。だから、魂から出ていた自分語だと確信できた。

この後、私はまるで整体の治療を受けた後かのような好転反応とまではいかないけど、超緩んだ状態になってしまい爆眠して3日位脱力状態にありました。言葉、自分語を生み出しただけで、一施術受けたような癒しがあったのだ。言霊じゃないけど言葉の力ってそれくらいの力がるんだなと改めて思いました。

そして、このどうありたいかが、どんなパン屋にしたいか、どうやってパン屋を運営していくかを考える時の礎となり、立ち返る場所となる。これがあるかないかでは大きな違いがある。私は生業とは、自己表現と考えている。

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